免罪符じゃなく(後編)

 

 

 

―間章1−

 

そんなのひどい…

私だって貴女のことが好きだったのよ…?

そんなのずるい…

どうして私のこと覚えてないの…

どうして、

そんなにあの子が大事なの?

 

 

いかないで……あのこのところへなんか…

止めようとしただけ

 

震える手は貴女を求めてさまよう。

行き場なきその手は、

 

あなたの背を

 

 

押した。

 

 

間章1、了

 

 

祐巳は目覚ましの音で目を覚ます。

少し眠かったけれど、日付を確認する為に飛び起きた。

 

「おはよう、お母さん。今日って何日だっけ?」

何気ない質問、けれど祐巳は内心緊張しながらそれを口にした。

「おはよう、今日?12月1日よ。やだ、寝ぼけてるの?早く顔を洗ってらっしゃい」

…何となく予想できていたけれど、やっぱりショックだった。

12月2日はまだやって来ない。

祐巳だけを置き去りにして、時が流れているのか。

祐巳だけが時間に逆らっているのか。

どちらにせよ、祐巳はまた12月1日をやり直すことになる。

 

……やり直す?

そうか、考えようによってはこれはチャンスだ。

初めて祐巳はこの状況になったことを感謝した。

祐巳が一度目の12月1日と、二度目の12月1日の行動を見直せば、お姉さまを助けることができるかもしれない。

 

 

祐巳はとにかく学校に行って作戦を立てなくては、と朝ごはんをさっさか済ませると家を出た。

 

 

 

−間章2−

「あら、祥子さん。ごきげんよう」

私はあのこに話しかけた勢いもあったのかもしれない。

いつもは、話しかけることすらできない憧れの人にあいさつすることができた。

「ごきげんよう」

彼女の寸分の隙も無い完璧なほほえみが、私の目に映る。

クラスが違うせいもあってこんなに近くで話したことさえなかった。

私は天にも昇る気持ちだった。

「どちらへ行かれるの?」

私は調子にのってしまったのだ。

あいさつでやめておけば、あんなことにならなくて済んだのに。

「ちょっと妹のところへ」

その瞬間、いつもの彼女のほほえみがくずれた。

なんだかとてもやさしい、おだやかな

まるでとろけそうにしあわせそうな

笑顔。

こんな笑顔、私は一度も見たことが無かった。

どうして…そんな顔をするの

あのこのせいなの?

「妹さんって、福沢祐巳さんよね」

「えぇ」

教えたくない、あのこのことなんて。

でも少しでも貴女の声を聞きたかった。

よくばりな私。

だからバチが当たったんだろう。

「少し前に、そこで見たわ」

「まぁ本当?急げば会えるかしら」

声がひかりを放っているようだった、それほど明るい声。

そんな声聞いたこと無かった。

「ご親切にありがとう」

貴女はこれで話は終わりだと、私の脇を通り過ぎようとした。

これで夢のような時間も終わり。

私はひとり。

その時貴女は振り返った。

なんだろう、少しでも私との時間を名残惜しんでくれたのだろうか?

 

「お名前を教えて頂けないかしら?」

 

この言葉で本当に私の夢のような時間は終わった。

 

 

―間章2、了―

 

 

実際には解決方法は簡単だ。

祐巳がお姉さまに会いに行かなければいい。

そのままお姉さまが誘いに来てくれるのを待てば、それで話は済んでしまう。

 

でも、本当にそれでいいの?

 

あのひとが何故あんな行為に及んだのか、知る機会はなくなる。

だって全部なかったことになってしまうんだから。

それでいいんじゃない?

だってあの人だってすきでやったことじゃないにちがいない。

あの人がお姉さまをすきなことは間違いない。

これだけは祐巳には絶対の自信があった。自分には珍しいなって思うけど、だからこそ信じて良いって思える。

 

でも、祐巳が会いに行かなければ、何も起きなかったということは、祐巳に何かしら原因があったということだ。

理由を知りたくない、といったら嘘になる。

本当に何か自分が悪いことをしたのなら謝りたいし、何か誤解されているなら説明したい。

でも、祐巳はあの人とは初対面であったはず、少なくとも祐巳にとってはそうだ。

ということはあの時に何か自分がしてしまったんだろうけど、祐巳は全く思い当たることがなかった。

私ってどんかん…

祐巳はちょっと自己嫌悪に陥る。

いやいや、もっとちゃんと考えればわかるかもしれない。

祐巳はこんなことを頭の中で繰り返しながら、

もう3度目になる授業を

うわの空で過ごしていた。

 

 

―間章3―

あのこをこんなに、近くで見たのは初めてだった。

福沢祐巳。

祥子さんの妹。

私だけじゃないと思うけど、なぜ彼女が妹に選ばれたんだろうかと思う。

愛嬌はあれど、どこといって特徴の無い容姿。

藤堂志摩子さんの名前が挙がっていたときの方がよっぽど納得できた。

志摩子さんは薔薇の館に相応しい人だ、さすがは祥子さんと私は心から祝福していた。

しかし、何があったのか知らないけど、いつのまにか志摩子さんは白薔薇さまの妹になっていて、

つまり

祥子さんは負けたのだ。

信じられなかった、私にとって何があっても祥子さんは負けることなどありえない人だったから。

私は自分でも驚くほどの積極性をもって

福沢祐巳に話しかけた。

「ごきげんよう、紅薔薇のつぼみの妹」

こう呼ぶのも抵抗があった。しかし仕方ない、これがあのこの通り名だ。

しかしあのこは私の声など聞こえていないかのようだった。私はあのこの肩を叩いた。

「紅薔薇のつぼみの妹?」

「ご、ごきげんよう、えっと何か御用でしょうか?」

あのこは慌てた様子でやっと返事をした。

祥子さんの上品さのかけらも感じない挨拶だった。

「いえ、そういう訳ではないのだけど…」

しまった、何か口実を作っておくべきだった。

「もしかして、お姉さまのお友達ですか?」

まさか、私の事を祥子さんから聞いているのだろうか、いやそんなことあるわけがない。

「そうだったら素敵ね」

ふと悲しい気持ちになった、私は何をしているんだろうか。

「私と同じですね」

「え?」

何を思ったのかあのこはこんなことを口にした。

何が同じだというのか。

「私もお姉さまのことすきですから」

 

頭を殴られたような気がした。

 

同じ?私とあなたが?

同じなんかじゃない。

 

あなたは私と同じ平凡な生徒だったはずなのに

あなたは私と同じ祥子さんのいちファンだったはずなのに

 

「お姉さま」だなんて呼んで

「すき」なんて臆面もなく口にして

 

同じなんかじゃないじゃない……!

 

私は、この時あのこに明確な敵意をもった。

あなたみたいなこは、祥子さんの妹はふさわしくない。

 

 

顔に出たのだろうか?

祐巳さんが少し驚いた顔をしている。

やめよう、顔に出して得になるようなことじゃない。

私はあなたを認めない、ただそれだけだ。

 

「祥子さんを尋ねていらしたの?」

「はい」

いじわるをしてやろうと思った。

このままいけばスムーズに祥子さんのクラスまで行って会えるだろうけど、

そんなことさせない。

させてたまるか。

「祥子さんは教室にはいないわ、確かあちらの階段を使ってどこかに行かれたのだと思うの」

「そうなんですか…ありがとうございます」

時計を見ている。この時間ではあの混んだ階段で捕まえられる可能性は少ないだろう。

私はあのこを追い返すために自分から立ち去ることにする。

「私教室に戻るわ」

「あ、はい。ご親切にありがとうございました」

私が階段を上がっていくと、あのこが戻っていく音が背後に聞こえた。

振り返り、あのこを背後から見据える。

あなたみたいなこが覚えて貰えるんなら、私の事もきっと覚えていてくれているはずだ。

1年間クラスが一緒だったことがあるのだ。

あのこなんかよりずっと長い。

 

機会があったら、話しかけよう。

きっと大丈夫だ。

用があったけど、今日はもういい。

祥子さんに今度会ったら…私は期待に胸を膨らませた。

私はひとりだけど、さみしくない。

貴女が覚えていてくれるのなら。

 

 

そして「機会」は思ったより早くやってきた。

 

 

−間章3、了―

 

 

4時間目の終わりを告げるチャイムで、祐巳は現実に舞い戻ってきた。

……!どうしよう何にも決めてない!!

行動を起こすなら、遅れてはだめだ。

また、時間の流れが変わってしまう。

 

……ごめんなさい!お姉さま。

でも、私、お姉さまだけは守りますから!

 

祐巳にはおぼろげながら、あの上級生のきもちが見えていた。

口では説明できないけれど。

そして、それはとても悲しすぎるような気がした。

 

祐巳は彼女を助けたかった。

 

 

祐巳は高鳴る胸を押さえながら、こころのスタンバイする。

上級生がみえてきた。

そう昨日はここで…

「ごきげんよう、紅薔薇のつぼみの妹」

一度目は返事をしない。

肩をたたかれる。ここで

「紅薔薇のつぼみの妹?」

「ご、ごきげんよう、えっと何か御用でしょうか?」

ちょっと不自然になったかもしれない。祐巳は自分の演技力の無さにがっくりする。

「いえ、そういう訳ではないのだけど…」

「もしかしてお姉さまのお友達ですか?」

そう、おちついて、おちついて、祐巳は自分に言い聞かせる。

「そうだったら素敵ね」

あ、この表情…間違いない。

この人はお姉さまのことがすき、なんだ。

「同じですね」

「え?」

「私もお姉さまのことすきですから」

一息で言う。祐巳は相手の反応を待った。

顔がこっちを向く。

あの時は妙だと思っただけだったけど、

今ならわかる。

これは、

『敵意』だ。

「祥子さんを尋ねていらしたの?」

「はい」

「祥子さんは教室にはいないわ、確かあちらの階段を使ってどこかに行かれたのだと思うの」

これは、嘘。

祐巳に対する敵意の表れ。

「そうなんですか…ありがとうございます」

「私教室に戻るわ」

「あ、はい。ご親切にありがとうございました」

祐巳は帰る振りをして、こんなことしちゃいけないんだけど少し走る。

少し隠れて、陰からあの人を窺う。

階段で見えなくなったところで、足音を立てないように戻る。

 

階段の影に隠れて様子を見る、お姉さまとあの人が話しているのが見えた。声までは聞こえてこない。

お姉さまが階段を下りようとする。

今だ!

 

「だめー!!」

祐巳は大きな声を出しながら、二人の前に出て行く。

あの人の手がすんでのところで止まり、お姉さまは立ち止まった。

「祐巳…あなた、なんて声を出すの。驚くわ、落ちたらどうしてくれるの」

「は!そうでした。ごめんなさい」

はう、お姉さまを守ろうとしたつもりが…

いや、落ち込んでいる場合じゃなかった。

「お姉さま、申し訳ありません。私この方とお話があるんです」

「あら、そうなの?私も祐巳に話があるのだけど」

「放課後ではだめでしょうか?」

「かまわないわ、じゃまたね」

お姉さまはさらりと髪を靡かせて、階段を登っていった。

祐巳は立ち尽くす、あの人を見た。

「どうして…?」

訳がわからないという顔をして呆然としている。

「お姉さまのことすきですよね?」

「…えぇ」

へたり込んでしまった。祐巳もしゃがんでその人の視点にあわせる。

「だから私のこと許せなかったんですね」

震えている。自分がしようとしたことに怯えている。

小さく見える。祐巳は自分が悪いことをしているような気分になった。

「祥子さん、私の名前全然覚えてなかった、私はあなたより長くそばにいたのに…」

ただ悲しそうだった。何も言わなくてもいいのかもしれない、でも…

「私だって祥子さんのこと好きだったのに…!どうしてあなたのことばっかり」

泣いている。祐巳は何と言って良いのか分からない。

「だからつい行ってほしくなくて、手をのばしたの。うぅん、違う。ここから落ちたらあなたのところへはいけなくなるってそう、思って…」

「だってすきなのよ!仕方が無いじゃない」

違う、それは違う。

「あの」

祐巳は言葉が切れたのを見計らって、口をはさむ。

彼女は惚けた顔をして、祐巳を見た。

「すきだってきもちを免罪符にしないでください。

 すきだったら何をしても悪くないなんて、思わないでください」

はっとしたような顔をする。そして大粒の涙が再び彼女の目からこぼれおちる。

「すき、なんですよね?お姉さまのこと。そのきもちを免罪符になんかしたらだめ、です…」

 

「ごめんなさい…」

それだけ言うと彼女は少しの間、声も立てず泣いていた。何かしてあげたかったけど、この人が何かしてほしいと願うのはお姉さま…祥子さま、だから。

ただ祐巳はそこにいることしかできなかった。

 

 

しばらくするとその人は顔をあげて、祐巳にハンカチを差し出した。

今ハンカチが必要なのは彼女なのに。

「預かっていてほしいの」

白いハンカチにはよく見ると刺繍が入っている。

『S、O』

「これ祥子さんを真似して作ったの。あ、これは正真正銘私のイニシャルよ」

なるほど、白いハンカチはお姉さまのトレードマークだ。

同じイニシャル、そんなこともあるのかと祐巳は驚いた。

「ちゃんと…あなたのお姉さまとお友達になれたら、あなたのところにとりにいくわ」

すがすがしい顔をしている。祐巳はそれをポケットにしまう。

「確かにお預かりしました」

「あなたに名前を名乗るのはその時にするわ。ありがとう、祐巳さん」

颯爽とその人は階段を昇っていった。

その姿は少しだけ祥子様に似ていたのだった。

 

 

 

祐巳はあの後、お姉さまとしっかり手をつないで帰ってきて、幸せモード全開である。

お姉さまは怪我しなくてすんだし、

あの人も何もしなくてすんだし、

すべてがうまくいった。

頑張ったなぁ。

祐巳は充実感に浸りながら、まぶたを閉じた。

 

あれ?

何か大事なこと忘れてない?

 

 

翌日…

「おかーさん、おかーーさーん」

「あら、朝から大きな声出してどうしたの?」

「今日、何日?」

すっかり忘れていた。自分が大変なことになっていたのを。のんびり寝てる場合ではなかったのに…

結局お姉さまにも相談しなかったし…

あーもうばかっ

「今日?12月2日よ。どうしてそんなに慌ててるの?」

は…?12月2日?

戻ってる。

「何か昨日も日付を気にしていたけど、何かあるの?」

「ううん、なんでもない」

戻ったんだ…っていうかもしかして、夢?

あはは、そうだよね、あんなことあるわけないよね。

早く着替えて学校行かなきゃ〜

 

祐巳は軽い足取りで、自分の部屋に戻っていく。

制服のポケットにしっかり収まったハンカチに気づくのは、

もうすぐ…





SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送