しあわせで、いて。

 

 

 

私はひとり、暗いところでいじけていた。

むりやりこじあけて、根気強く話して、私を外へ出したのは、切りそろえられた美しい黒髪が印象的な女性。

外に出ても無気力で、誰とも関わりたがらなかった私の隣に、一緒に座ってくれたのは、西洋人形のような麗しい顔に、やわらかな空気をまとった少女。

 

 

そして…

 

ただ私の目の前で楽しそうに笑い、

ただ私の名をくったくなく呼んだ女の子。

 

ただそれだけの女の子は

私にとっての祝福だった。

君の名は祝福の音。

だから、私は何度でも、君の名を呼び、

君を抱きしめよう。

 

私を光の中へ入れてくれて、ありがとう。

 

 

 

「また、やっちゃった…」

祐巳はコピー機の断末魔を聞いたような気がした。別に何の音もしてないけど。

順調に動いていたはずなのに、さっきまでの勢いが嘘のように紙が流れてこない。

…なんで?
職員室へ行こうと思ったが、祐巳はそこではたと気づいた。

以前、祐巳はコピー機を止めてしまったことを思い出した。

その時、お姉さまに一緒に謝罪させてしまったのだ。

お姉さまは「気にしなくていい」と言ってくれたけれど、祐巳のせいでお姉さまが謝らなきゃいけないなんてやっぱり嫌だった。

何とかならないか、と祐巳はコピー室の中で悪戦苦闘し始めた。

 

 

「やっぱり、だめ、かも…」

祐巳はあちこち押してみたり、紙を入れるところを開け閉めしてみたりしたが、全く効果はなかった。

「むしろ、悪化したかも…」

という疑惑をぬぐいきれない。どうしよう…と祐巳は頭を抱えつつ、コピー機に肘をついた。

「お嬢さん、何かお悩み?」

耳元で突然囁かれる。

「ぎゃ」

「いつも通りの反応をありがとう、祐巳ちゃん」

背後を取られて動けない祐巳。

そこをぎゅーと抱きしめられる。

「白薔薇さま〜何なんですか〜」

「いや〜この機会に思う存分感触を楽しもうかと思って」

「うぅ〜離してくださいぃ〜」

祐巳は何とか逃れようと、もがく。

いつもなら、この辺でお姉さまが助けてくれるところだが、今日は期待できない。

しかし、意外にも祐巳はあっさりと解放された。

「ところで、祐巳ちゃんはこのコピー機が止まって、困ってるのかな?」

「あ、はい。よくわかりましたね」

「ん?だって原稿が中途半端なとこでとまってるもん」

なんだかんだ言っても見るところは見ているのが白薔薇さま。話が急に戻るから、たまについていけなくなるけれど。

「祐巳ちゃん、機械とか苦手そうだもんね。ありゃ、これは色々押したね」

「私ってそんなにわかりやすいですか?」

「うん。あ、なんだ。これ、ただの紙詰まりじゃない」

あっさりと肯定されてがっくりしてしまう。自分でも機械に強そうに見えるとは思っていないけれども、そう簡単にうなずかれると複雑だ。

白薔薇さまはコピー機を直してくれている。機械の中から紙をだして、ぐしゃっと丸めてぽいぽい投げ始めた。

一見軽そうに見えるけど、頼りがいがある。万能で、祐巳ができないようなこともさらりとこなしてしまう。

何でも知っていて、何でもできる。祐巳は自分が情けなくなってきた。

ぽすっと祐巳の頭に何かが当った。落ち込みに拍車がかかった気がする。

「祐巳ちゃん、ごめん、当っちゃったよね」

白薔薇さまの投げた紙だったらしい。白薔薇さまが手を合わせて謝っている。

「いえ、気にしないで下さい、大丈夫です」

「…大丈夫じゃないって顔してる、ごめんね、そんなに痛かった?」

白薔薇さまは祐巳に視線を合わせて、じっと見ている。

「え?」

「落ち込んでいる?」

コピー機は回復したらしく、また快調に紙をはきだしている。

祐巳には全く手が出なかったのに。

「私、お姉さまの妹でいていいんでしょうか?」

祐巳がぽろっと言葉を漏らすと、白薔薇さまは先を話してごらん、というように首をかたむけた。

「よく失敗しちゃうし、お姉さまに、迷惑かけて、私なんか、妹でいていいんでしょうか?」

祐巳は言葉を落とすように紡ぐ。

白薔薇さまはそんな祐巳を今度は正面から、抱きしめてきた。

さっきのふざけ半分な雰囲気とは違っていて、祐巳はどうしていいかわからなかった。

されるがまま、祐巳は白薔薇さまの腕の中にいた。

お姉さまに抱きしめられると、どきどきして仕方ないのに、白薔薇さまの場合そこにあるのは絶対的な安心感。

「祐巳ちゃん、知らないからできないなんていうのはね、些細なことだよ」

「え?」

「それはね、ちゃんと知ることができれば解決するの。コピー機みたいな道具は特にね。ちゃんと理解できれば、誰にだって同じことができる。祐巳ちゃんにその能力がないとは思えない」

「…はい」

「そんなことより、大事なことがあるよ。祐巳ちゃんにしかできないことはあるの。それがあるから、祥子は祐巳ちゃんを選んだ。道具の使い方なんて、誰かに教わればいいし、代わりにやってもらったっていい。だからね、そんなことは大事じゃないよ」

「…」

白薔薇さまのやさしい言葉が、白薔薇さまのぬくもりと一緒に伝わってくる。

白薔薇さまのおかげで、祐巳は何度救われただろう。

数え切れないほどの優しさは、祐巳の中で星のように輝いて、先の見えなくなったときにも、道を照らしてくれるのだ。

「それでも、もし辛くなったら…」

 

「祐巳!まだ終わらないの?!」

「お姉さま!」

「あら、祥子。ざんねん〜」

ぱっと白薔薇さまは手を放した。

つかつかとお姉さまは歩み寄ると、祐巳の手を取る。

「白薔薇さまもいいかげん私の妹をお抱きになるのはやめていただきたいものですわ」

「それはうなずけないなぁ」

お姉さまの抗議に対してものらりくらり、さっぱり通じる様子はない。

「いきましょう、祐巳」

無駄と諦めたのか、ずんずんと歩き始める。祐巳は後ろ髪を引かれながら、コピー室を後にした。

「それでも、もし辛くなったら…」

いったいその続きに、白薔薇さまは何を言おうとしたんだろう?

 

 

 

「奪っちゃえばいいのに」

「江利子」

祥子が祐巳ちゃんを連れて、風のように去っていったのち、図ったように江利子が入ってきた。

「別に妹と恋人が同じじゃなきゃいけないってことはないはずよ」

「まぁ…そうだね」

リリアンでそれが許されるかどうかは解らないけど、ありえないことではない。

「どうして?聖なら簡単じゃない。隣の優しいお姉ちゃんでいつまで満足しているの?」

なんて単刀直入なやつだ。それにやたらに熱心だ。そんなに興味深い話だろうか?

確かに以前、栞を強引なまでに引き寄せた私を見ている江利子にしてみれば、不思議なのかもしれない。

「いつまででも、彼女が望むなら」

「本気?」

いくじなし、と江利子の目が言っている。

でも、そんなの気にならない。

「彼女にはしあわせでいてほしい、それって奪うことと同義じゃないでしょ」

江利子が驚いた顔をしている。

「聖、あなたそんな顔で笑うのね」

「は?」

「綺麗な、顔だった」

「何言ってるの?」

いまいち理解の及ばない私に対して、江利子はくすっと笑った。

けれど嫌な感じはしなかったから、特に何も言わなかった。

「私なら奪いにいくわ。何が何でも奪って、何が何でも幸せにする」

「江利子らしいね、天貫く自信だ」

ピーっと音がした。

コピーが終わったらしい、いったい何のために祐巳ちゃんはここへ来たのやら。

私は紙の束を抱えた。

 

「でもね、江利子」

「何?」

「何かあれば、私は動くよ」

「その時が来たら、私が背中を蹴り飛ばしてあげてよ」

笑って江利子が手をふってくれた。

私は片手を上げて、それに応えた。

 

私は彼女の背中を見つけて、駆け寄る。

「祐−巳ちゃん、忘れ物だよ」

「わわ、白薔薇さま、ありがとうございます」

「はい、祥子はこれ持って」

祥子に紙の束を持たせた。呆然とする祥子がおかしい。

空いた手で、彼女に抱きつく。祥子がかっと怒りだす。

「白薔薇さま、ここをどこだと思っていらっしゃるんですか!!」

「廊下〜♪」

 

 

 

あたたかい、ひだまりのような君。

私の大切な君。

 

いつまでもそのままでいて。

いつまでもしあわせでいて。

 

そのためなら、私は、

いつまでも立ち止まったままの

止まり木だってかまわない。

 

マリア、

“祐巳”という名の祝福を、ありがとう。

 

 

 

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