いつか問われる(2)

 

 

 

聖は高鳴る鼓動を抑えながら深呼吸する。

桜が見せた幻だろうか。

まるで栞のようにそこに誰かが立っていた。

柔らかな春風のような髪、清楚で可憐な顔立ち。

透けるほど白い肌に華奢な体つき。

桜の妖精かと思った。私を遠い世界へ連れて行ってくれるのかと思った。

しかし彼女には羽もなく、人語を話し、私の前から消えていった。

 

彼女は何者…?

 

佐藤聖は間断なく続く自己嫌悪から久しぶりに開放され、ある少女のことを考え

ていた。桜の下で出会った少女のことだ。

交わしたものは言葉ですらない、ただの視線。

なのに忘れられない強烈な印象。

驚いている。

いまだ未練たらしく、栞を忘れられない自分の願望が見せた幻覚ではなかったか

と思う。

心奪われたその瞳。

さりぎわに残されたこえ。

会ってはいけないのではないか?と思う反面、もう一度会えたらと願っている。

会ってはいけないというブレーキを意識しているあたりもうすでに自分は彼女に

とらわれているのではないかということに気づかない振りをして…

 

 

 

今日はマリア祭の日だ。いつもなら山百合会の行事などさぼってしまおうかとい

う甘い誘惑を感じずにはいられないが、今日だけは違った。もしかしたら、あの

少女をもう一度見れるのではないか、と。名前すら知らない、あの少女に。

 

しゅるしゅると器用に蓉子はタイを結ぶ。

あの日から蓉子は江利子直伝のタイ結びをやめたようだ。すぐは気がつかなかっ

たけれど。蓉子の感傷が見て取れて、なんだか乱暴な気分になる。そんなことす

るくらいなら、私のことなんか見捨てればよかったのにと思う。

蓉子が私を哀れむような視線で見るたびに、私は蓉子を組み敷く。どこまでも私

はこの貴重な友人だった女性を傷つけることしかできなくなっていく。こういう

のを泥沼っていうんだろう。蓉子はそれでも何も言わずに私に体を差し向ける。

わからない、一体彼女は何を望んでいるんだろう。

きっと彼女にはこんな情けない私のことなんかお見通しなのだ。そう思うたびに

さっきまで、私を暖めてくれていた彼女の肌が憎くなる。きっと血のような赤は

「紅薔薇」名にふさわしく、彼女に似合うことだろう。

けれど、あの日から毎日のように彼女を求めている私は、もう彼女なしではいら

れなくて、「お友達」の射抜くような視線はシャットアウトだ。

蓉子は確実に私の中の何かを埋めてくれた。だから彼女が唯一口にだした望みを

叶えようと思った。

 

「私以外の女の子とこういうことするのはやめて」

 

そう言われた。

こういうことって何?と聞いてみたら、怒って答えてはくれなかった。

その後はまた言葉が失われて、何があったか忘れてしまった。きっと何度も繰り

返して来たことが行われたんだろう。

 

 

「聖、もう行くわよ」

さっきまでの雰囲気はどこへやら、いつもの紅薔薇さまが戻っていた。私はいい

かげんに身繕いすると蓉子の後を追った。

 

颯爽と歩く姿は彼女の妹の祥子にそっくりだ。

きっと彼女は、江利子や祥子に心の中で何度も謝ったんだろう。

だから、私は、

彼女と一緒にいて、誰のことを考えていても、謝ったりしない。

 

 

蓉子が首におメダイをかけた中にあの少女がいた。

何組なのか把握できたのはありがたい。

教室へふらりと赴く。彼女は「シマコさん」と呼ばれていた。

彼女の名前を名簿で調べる。

『藤堂志摩子』

その名前を私は密かに胸に刻んだ。

 

 

 

聖は今日も私を求める。

そこには愛なんてなくて、恋すらなくて、

溺れた人間が藁をつかんでいるようなものだ。

苦しければ、何にでもすがる。

藁の私に人格などなく、私の気持ちは聖の近くにいる時ほど他人の感情に思えた。

 

「蓉子」

「何?」

「愛しているよ」

「私ね、うそつきは嫌いじゃなかったみたい」

「そりゃあ、よかった」

 

交わされる会話は友人時代にもなかった程遠まわしで、

私も自分の気持ちを叫べないようになっていた。

わかっていたけれど…辛いとはいいたくない。

私の望むものはこんな形でしか手にはいらないのだ。

それでも聖の手は、

私を求め、

私を必要としてくれている。

 

ただそれだけが私の最後のプライドだった。

 

あぁどうか、

マリア、

これだけは取り上げないでください。

私の切なる願いです。

 

 

近頃は珍しくもなくなった、薔薇の館でふたりで過ごす時間。

楽しくはないのに、私をここへ留める魔力を聖はもっているんだろう。

「ねぇ、蓉子。あなた1年生には詳しいの?」

「人並みには」

一応目立つ生徒に関してはそれなりに名前を聞いている。

ただし顔は一致しないことが多い。

「藤堂志摩子ってさ、知ってる?」

聖の口から固有名詞が、

人の名前がでてくるなんて…

私は、わからない。

わからない。

「その子、知り合いなの?」

私はやっとのことでその台詞をはいた。声が震えていなかっただろうか?

「ううん、知らないならいい」

聖はこれで話は終わりだと言うように背をむけた。

知り合いでもない、

私が名前を聞いているほど有名でもない、

そんな少女の名をどうして、聖が知っているのか?

そしてその少女についての情報を何故得ようとしたのか?

私がそれを気にしないとでも思っているのだろうか?

無意識に口にしたというのか?

 

何よりその名を呼んだあなたの顔は

あの、あの久保栞の名を

口にした時と

 

同じじゃないか。

 

呪いのように、あなたの中に、私の中に、

残る『久保栞』

 

幻影が音をたてて、私に近づいて、来る。

 

どうして、そうなのか?

私は、こんなかりそめの幸せまで奪われてしまうのか?

 

涙で、あなたの背が滲む。

けれど、気づかれてはならない。きっと私の気持ちを知ったなら、あなたは

離れていくから。

そのためなら、何度でも

私は涙を飲み込もう。

それも、私の覚悟。

 

私は聖の背にすがりつく。

涙がそっと聖の背にしみていった。この涙が届く日は永遠に来ないのだけど…

「して、聖」

聖は振り向いた。

「初めてじゃない?蓉子からなんて」

「いけないの?」

「大変、結構」

 

なだれ落ちるふたつの身体。

 

 

聖、

痛む心も消えるほど、

私を深く溺れさせて。

 

 

 

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