風車

 

 

 

「志摩子…」

「何でしょう?江利子さま」

何でもない、と私が返すと志摩子は「はい」とだけ答えて、また静けさが部屋を

覆う。

あの日、花火大会の日から私は度々志摩子を家に呼び出した。家族がいる日もあ

れば、いない日もあった。特にそれは問題ではなかったのだが。

 

しかしそれで何をする訳でもない。

「ごきげんよう、江利子さま」

「いらっしゃい、志摩子」

と挨拶を交わし、部屋へ招き入れる。そして私が志摩子にオーダーをとって飲み

物を用意する。紅茶は意外に少なくて、緑茶やコーヒーが多かった。理由は推し

て知るべしである。

そして少しの雑談。主に山百合会の最近の様子を志摩子から聞くことが多い。

彼女は自分からは口にしないが、こちらが請えばはずかしげに「妹」の話もし

てくれた。非常にしっかりした人物のようだが、仏像マニアという一風変わっ

た趣味も持っているらしい。在学中に知り合えたらよかったのにと思う。

けれど、私の頭の中は今目の前にいる人のことでいっぱいで、さほど興味

をそそられることはなかった。

 

そして会話が途切れるとふたりとも何をする訳でもなく、ただ一緒にいるだけ。

焦りも不満も私は感じていない。志摩子はどうだかわからないけれど…

でも私は同じ空間に彼女といるというだけで満たされていた。

たまに彼女の横顔を盗み見て、そこにその存在を確かめる。そんな時間が他のど

んな時間よりしあわせだった。

彼女がたまに私を見ていることに気付くと何だか気恥ずかしくて、私らしくなく

顔が少しほてるのがわかる。

そんなことを繰り返しているうちに夕暮れの時間がやってきて、志摩子はそれを

合図に去っていく。

「長居して申し訳ありませんでした」

とあのはかなげな笑顔を私に見せながら。

私はそれを見る度に、さっきまでの満ち足りた気分が嘘のように消えるのを感じ

る。

そして強い焦躁を埋めるように2日と空けずに連絡をとり、次の約束をする。

志摩子の了解を得て、私は少しだけ落ち着くことができる。約束の日まで、まる

で子供のように指折り数えて私は志摩子を待つのだ。

来てくれて嬉しい

とこの想いをもっと伝えたいのに。いざ会ってしまうとそんな言葉が陳腐に思え

て、ただ言葉を失い、あなたに見入ってしまう。なぜ、こんなにも彼女を求めて

やまないのだろうか。

きっとずっと前から私はあなたを待ち続けていた。

 

こんな風に頻繁に会っていながら、あの日のあの私の言葉には何の反応も志摩子

は返してこない。

私も求めたことがない。

流されたとも思えるのだが、それ以降会う頻度は増え、彼女が私を避けるそぶり

は全くない。

一体何を考えているのだろう?

よく周囲の人間に

「あなたが何を考えているのかわからない」

と言われる江利子だが、その江利子は内心「志摩子ほどじゃないわよ」と思って

いるのは秘密である。

 

江利子の気持ちはあの日以来、強くなりこそすれ弱くなることはない。

 

こわがっている、私が。

 

楽しい、こんなきもちは初めてだ。そして…切ない。

今日こそ確かめなければ、8月のカレンダーはすっかり日に焼けてもうすぐ役目

を終えようとしている。こんな頻度で会うことはもうすぐ叶わなくなる。

 

志摩子を見た。

さらさらと動く度に流れていく髪が江利子の目を奪う。あの時志摩子の髪は珍し

く束ねられていた。あれも悪くはなかったけれど、やはり志摩子はおろしている

方がしっくりくる。

 

「江利子さま?」

珍しく志摩子の方から話し掛けてくる。私は少しの緊張と大きな喜びを隠しなが

ら返事をする。

「どうかした?志摩子」

夕暮れにはまだ間がある。帰るという話ではなさそうだ。

「それ…どうされたんですか?」

志摩子が見ていたのは、ペン立てに挿してあった赤い風車だった。

「あぁこれ?酔った兄貴が去り行く夏を惜しんでとか言ってお土産だって押し付

けられたの」

正直いらなかったけど、酔った人間の相手なんかしていられなくて黙って受け取

ったのだ。置くところもなくて、仕方なくペン立てにつっこんだ。

「久しぶりに見ました、かわいいですね」

志摩子はすっと立って、私に、いや風車に近づく。

「よかったらあげるわ」

「え?」

私は風車を抜き取ると、志摩子に差し出した。

「私には必要ないから」

戸惑う志摩子に駄目押しするように声をかけた。

志摩子はためらいながらそれを受け取る。

ふっと志摩子は風車に息をかけた。くるりと一度だけそれはまわった。

「代わりに答えてもらえないかしら?」

必要がないものをあげたくせに代わりとは何だろう?と自分で思った。

「何でしょうか?」

志摩子は疑いもせずに聞き返す。

「あの時の続きを聞きたいの」

志摩子はぴくりと体を震わせた。

「私はあなたのことがすきよ」

志摩子は揺れる瞳で私を見つめている。

「できたらあなたのきもちを聞かせてもらえないかしら?」

 

言ってしまった。

あとは志摩子次第だ。

 

すると志摩子は弾かれたように、私の胸の中へ飛び込んで来た。

私は硬直して、動くことができない。志摩子は顔を完全にうずめている。

一体どうしたのか?

 

「私…勘違いをしていました」

志摩子は涙に濡れた声で話し始める。

「私のきもちは伝わっていなかったんですね」

…それは一体どういうことだろう?

「私は江利子さまのことがすきです」

 

江利子は硬直していた体をむりやり動かし、ぎこちなく志摩子を抱き締めた。志

摩子もそれに応える。

 

「志摩子、顔をあげて」

ゆっくりと志摩子が顔を見せてくれる。その可憐な顔が涙で濡れている。その涙

を江利子は軽くぬぐった。

そして江利子は、志摩子の唇をとらえる。

 

 

窓から強い風が吹き込んだ。涼しい秋の風だ。

志摩子の手に握られた風車が何度も回る。

 

 

熱に浮かされた夏が終わり、秋がやって来ようとしている。

 

 

 

 

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