蚊取り線香

 

 

 

  灯されたその火は、決して燃え上がることはないけれど、

 ちりちりとそれを焦がしていく。

 確実に。

 まるで、何かを追い立てるように。

 

 

 

 「大丈夫?志摩子。」

 江利子は救急箱を持って歩み寄り、縁側に座った浴衣姿の志摩子に声をかける。

 「大丈夫です、たいしたことありませんから。」

 柔らかく、志摩子は微笑んだ。

 志摩子がなぜ鳥居家にいるのか?その訳を説明するには時を少し遡る・・・。

 

 

 

 江利子は風流にも貰いものの蚊取り線香なんて焚きながら、ひとり縁側で夕涼みをしていた。

 それなりに忙しい兄たちは当然不在、そして父と母は、近くの花火大会に駆り出されている。鳥居家はとても静かだ。

 しばらくぼーっとしていたら、外から聞き覚えのある声がした。

 「もしかしたらいるかもしれないし、いたら助けてくれるでしょ。」

 「突然お邪魔して、大丈夫かな?」

 「大丈夫よ、由乃さん。気にしないで。」

 あー、やっぱり。後輩たちだ。江利子はサンダルをつっかけて、庭から玄関へむかう。  最後の声はきっと彼女。

 

 「何してるの?あなたたち。」

 江利子が出て行くと、案の定、孫世代の由乃、祐巳、そして彼女・・・志摩子がいた。予想外だったのは全員が浴衣姿だったことだけだ。

 「ごきげんよう、江利子様。」

とリリアン式のあいさつが返ってくる。

 「ごきげんよう。もう一度聞くけれど、私の家の前で何をしているの?」

 すると由乃が代表して答えた。

 「志摩子さんが、靴擦れというか・・・とにかく足を痛めてしまったんです。休ませてあげてくれませんか?」

 気楽なことに両親もいない。断る理由などあるはずもなく、まして彼女のこととなれば放っておけない。

 しかし「三人ともあがりなさい」というと、由乃と祐巳は「私たちまで上がるなんてとんでもない」と言う。そこで私は

 「縁側ならどう?」

と提案したのだ。それなら、と合意したので、三人を縁側に座らせてお茶をだす。

しばらくの後、志摩子はこう切り出した。

 「ふたりは花火を見に行って。」

 由乃と祐巳は当然のことながら、「一緒に行こう」と言った。

 しかし志摩子は、

 「足手まといになるから帰らせて欲しい。」

と頭を下げたのだった。

 そうまでされてはふたりとも立つ瀬がないらしく、しぶしぶ席を立った。

 「本当に大丈夫?」

 「帰るときは気をつけてね。」

ふたりは心配そうな目で志摩子を見ている。

 「大丈夫よ、ふたりとも楽しんできてね。」

志摩子は曇りのない笑顔でその目に応じた。

 ふたりはごきげんよう、とあいさつをして江利子の家を去っていった。

 

 

 そして直後、志摩子も

 「それでは、私もお暇いたします。」

と立とうとした。

 しかし私は浴衣の影になって見えにくいが、げたの鼻緒が触れているところがこすれて赤くなっているのに気づいた。

 「志摩子、痛いんじゃない?足。消毒と絆創膏くらいしていったら?」

 志摩子は少し俯いたまま

 「大丈夫です。」

 と答える。私はため息をついて

 「いいから、大人しく消毒されなさい。志摩子が良くても、私がこのまま帰すのは嫌な    の。」

 「すみません・・・」

 志摩子は縁側に座り直してくれた。

 

 

 そして、現在に至るわけである。

 取ってきた救急箱を開けて、消毒液と絆創膏を出す。

 「志摩子、げたを脱いで。まずは左足からね。」

 私は庭に下りて、志摩子の足元でひざまづいた。

 「そ、そんな、江利子様、貸していただければ自分でしますから。」

 志摩子は慌てた様子で江利子を制した。

 「いいから。早く。志摩子は私の言うことが聞けないの?」

 「・・・・。」

 志摩子はためらいがちにげたを脱いで、足を差し出した。

 「申し訳ありません・・・。」

 消え入りそうな声で志摩子が言った。

 「気にしないで、傷、ついてるんだから。」

 江利子はそっと志摩子の足を手に取った。

 昼間に比べて涼しいとはいえ、やはり夏は暑い。けれども志摩子の足はひんやりとしていた。

 しっとりとした美しく、白い足。

 まるで陶器のようだ。

 小さい、華奢な足を片手にのせて、もう一方の手で消毒をする。

 

 「痛っ・・・。」

 志摩子が小さく言った。

 「ごめんなさい、優しくしたつもりだったんだけど。」

 「いえ、大丈夫です。すみません。」

 「何だか今日の志摩子は謝ってばかりね。」

 

 右足も同じように消毒する。

 それにしても綺麗な足・・・。

 浴衣のすそからちらりとのぞく細い足は、

 同姓から見ても、どきどきしてしまう。

 ふと目をそらすと、蚊取り線香が目に入った。燃えたところがずいぶんとのびて、折れそうだった。

 

 視線を戻すと、志摩子が申し訳なさそうに、私の手元を見ている。

 いつになく可憐に見えた。

 紺地のシンプルな浴衣は、志摩子の清楚な雰囲気を引き立てる。

 ふわふわとした髪は、少しの後れ毛を残してまとめてあって、学校で見ていたイメージとはまた違っている。

 

 目を奪われる。

 

 

 

 絆創膏を張り終えると、志摩子は

 「ありがとうございました。」

と頭を下げた。

 その時、飛んできた蚊が志摩子の首のうしろにとまったのが分かった。

 払ってやろうと志摩子に近づく。

 顔が近づく。

 志摩子の大きな瞳、長い睫毛。

 

 志摩子の顔の右側から顔を出して、首を見る。

 

 

 

 「私、今日江利子様にお会いできて嬉しかったです。」

 

 

 

 不意討ち。

 耳元で放たれた。

 私を射抜く。

 

 鮮やかに広がるきもち。忘れたことなどなかった。

 

 視界の隅に、蚊取り線香が、

 ぽきり、

 と折れたのが映った。

 

 蚊を払おうとした手で、そのまま志摩子を抱きしめた。

 

 

 

 押し返されるかと思ったが、志摩子は腕の中に収まっている。

 そして遠慮がちに、江利子の身体に腕を回して来た。

 

 江利子はささやく。

 

 「私、貴女のこと、すきよ・・・・・・」

 

 

 

 

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