いつか問われる(4)

 

 

 

 

藤堂志摩子は薔薇の館へやってきた。

蓉子の差し金、でもそれにのったのは私。

それでも彼女は私で、こんな有様の自分が何をいうのか?と思った

けれど、放っておけなかった。

人は、背負うことができるようになったから何かを背負うのではな

く、何かを背負うと言う覚悟で背負うのだ。

私は急に偉くなったわけでもなんでもない。

 

 

掃除当番が無い日、私はひとり薔薇の館へ一番乗りして本を読んで

いた。カップにはインスタントのコーヒー、実は薔薇の館の定番飲

料である紅茶よりも私はコーヒーの方が好きだ。

誰にも言ったことはない。

自分で淹れるなら、最も好ましいものを選ぶが、他人に淹れて貰う

のだから贅沢は言わない。

自分で淹れて一人で味わうコーヒーよりも、人に淹れて貰って、

その人の温もりまで味わえる飲み物の方がずっと贅沢に違いない。

 

たったひとりで占める薔薇の館は、中々悪くない。

最近薔薇の館に来るのは、蓉子とふたりっていうのが定番だった。

正直会議に参加する回数より多い。

笑えてくる。

あの壁の隅も、このテーブルの上も、

私の愚かさが汚した。

このマリアに愛されし、薔薇たちが集うはずの場所で。

もっとも忌み嫌われるべき儀式が毎日のように行われているのだ。

胸の痛みはとうに消えた。

代わりに彼女が持っていったのだろう、きっと。

私には何も言わないけれど、彼女の胸はきっと何にも勝る純度で後悔

があるに違いない。

綺麗で純粋なこころだ。

私はそれをどこかでいとおしんでいるのかもしれない。

 

「ごきげんよう」

 

私のどこまでも沈んでいく思考をさえぎるように、彼女の声がした。

驚いた。何故このタイミングで。

蓉子といる時は暗闇の癒しだ。何も見えない、何も感じない。

それがとてつもなく心地よくやさしい。

それがいいことだなんて思っていない。けれど、暗く、冷たいそこは

私をゆるゆると癒していくのが解る。

それを周囲の人間が癒しと呼ぶのかはわからない。けれど、多数の「お友達」

と遊んでいるときより自分は落ち着いている。

いや、堕ちた、のか?

「ごきげんよう、志摩子」

私は今まで見てもいなかったプリントに視線を落とす。

挨拶を返すのは、彼女をここへ留めた私の責任があるから。

その責務を果たすために、私は彼女を傷つけたりはしない。彼女は私。

そんなことをすれば、「あぁやっぱり」と言わんばかりの顔をして去っていく

だろう。わかりきったような行く手など試してみる価値もない。

「白薔薇さま、何かお淹れしましょうか?」

志摩子はその手のことで他の追随を許さなかった令に「うまい」と言わしめた

ほど、紅茶を淹れるのがうまかった。基本的にお茶を入れるのはその場にいる

1番若い世代に決まっていた。祥子はその才能には著しく欠けているらしく、

令がずっとその役割を担っていた。最近はその補助につくのが妹の由乃ちゃんで、

見るものを微笑ましくさせた。

そして、志摩子がお客さんで無くなってすぐ、紅茶をひとりで淹れる機会が

やってきた。そこで皆が彼女の手腕を知る。

「自分で淹れたから、いらないわ。自分の分淹れたら?」

「では、お言葉に甘えて」

志摩子は必要以上に相手を気遣わない。蓉子とは正反対だ。

蓉子は「本当?」という念押しを必ず入れてくる。それが相手から言葉を導くことに

なるのかもしれないけれど、私にとっては邪魔な問いかけなのだ。

いえるものならば最初から口にしている。そうでなければ、何を言われても口にした

りはしない。

そして、蓉子はそれが過ぎたから…

私に傷つけられた。彼女が優しかったから。

優しい人は、その優しさゆえに私のような奴に苦しめられるのだ。

世界は冷たい。

本当にそう思う。

 

志摩子はひとり、私に関せず紅茶を淹れている。こういうのが良い。

基本的にテリトリーを侵さない。でもいつかは近づけそうな距離。

これが私にとって理想的な人との距離なんだと思う。これを意識せずにやってのける

藤堂志摩子という人物はやっぱり私にとって特異な存在だといえる。

この距離を越えると、自分との境が消えて、

自分を傷つけるように、相手を傷つけてしまう。いらだちを押し付けてしまう。

人との関わりを絶つことができればよかったのに、なまじお姉さまのの優しさに触れてしまった私は、誰かを求めてしまう。

気づきたくは無かった気持ち、誰かにいてほしい。

一度気づいてしまったものをなかったことにはできなくて、近寄るものを無意識に選び

取り、彼女では果たせなかった何かを果たした。

何も埋まらなかった。

高揚は、罪悪感の裏返し。

決して何も楽になどなりはしないのに、苦しさから逃れたいがために「お友達」を作り

続けた。

私を好きだと言ったあの子達。私に近づいてきた天使たちを、ひとりひとり抱きしめて

これは違ったと捨て置いた。

もう、天使たちは飛ばない。きっと。

 

志摩子は紅茶のカップを持って、テーブルにつく。

私の斜め前。

やたらに隣に座ってきたりしないところが良い。

私はちらりと志摩子を見て、また視線をプリントに落とした。

 

「ごきげんよう」

薔薇の館が一気ににぎやかになった。

蓉子を始め山百合会の面々が一度にやってくる。

同じように掃除を終えてやってくるのだから、そう珍しいことではない。

「何をお飲みになりますか?」

すかさず志摩子は皆に聞く。

「紅茶を」

と皆が口々に言う。このセピア色の空間には確かに紅茶の方が似合う。

真っ黒なブラックコーヒー、山百合会にたったひとり。

「令、由乃ちゃんは?」

「由乃、今日は欠席です。志摩子ちゃんにお願いしたの、私なんです」

なるほど、なぜ呼ばれなければ来ない彼女が今日来ていたのかわかった。

どこかで彼女の存在を意識していながら、別に理由は気にならない。

そこにいるということがとても普通だったから、だろう。

 

会議を始めるために皆が席に着く。

志摩子がお盆に載せたカップを配っている。

彼女はおそろしくまめで、誰がお砂糖を使うとかちゃんと覚えているらしい。

ひとりひとり確かめるように配る。

そして残りふたつのカップというところで、私のところへやってくる。

「いいっていったのに」

「でも冷めてしまわれたでしょう?」

志摩子は私のきつい言葉にも動じない。

すっと差し出されたカップの中身は、黒かった。

「これ…コーヒー?」

「えぇ、こちらの方がよろしいんですよね?」

 

ちょっと言葉を失った。

気を取り直して聞く。

「わざわざ淹れたの?コーヒー」

「いえ、これも」

残りのひとつのカップもコーヒーだった。砂糖もミルクも添えられていない。

しかしもう残っているのは志摩子の分だけのはずだ。

 

志摩子はそれを見せると、すたすたと自分の席に戻っていった。

 

会議が始まった。

私はただ蓉子の説明に耳を傾ける。

ふと斜め前を見ると

 

カップに口をつけている志摩子が見えた。

じっと見ていた私にしかわからなかっただろうけど、

彼女の可憐な顔が一瞬ゆがんでいた。

 

 

館の中に、ふたつの黒い点。

きっとふたりの共通点。

 

 

 

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