いつか問われる(5)

 

 

 

けだるい空気。

この長いリリアンの歴史の中でこれ程罪深い生徒が他にいたのだろうか。

蓉子はただ薔薇の館の天井を見上げていた。少し前まで被さっていた重さが消え

て、視界が開けたがそこにあるのは広がりない空間だった。

もはや薔薇の館の天井も見慣れたものになっている。

在校生のどこを探しても、私ほど、この天井を仰いだものはいないだろう。隣に

座っている彼女でさえも。

彼女はただ私を見ずに窓の外を見ている。

どこか遠くへ去ってしまいそうなその姿に私は何より心惹かれた。

いつだってあなたの目は私と言う名の現実を見ない。

私を奪い、誰よりそばにいる時のあなたより私はそんなあなたが愛おしい。

不思議な感覚。

「せ、」

日が射して、聖を照らす。色素の薄い髪がきらきらとひかる。

 

名前を呼ぶことすらためらう、美しさ。

まだもう少し聖を見ていようと思った。

 

あの娘、藤堂志摩子が薔薇の館へ来るようになってからもこれといった変化はな

い。ただやっぱり聖にとって気になる存在であることは間違いないようでやたら

にそっけなくしたり、からんだりしているのがわかる。

あんな風に気にしていたから、そばに引き寄せたらどんどん近づいていくのかと

思っていた。

彼女が少しでもこの状況から外を見てくれたらという願いもあったけど、それは

どうもうまくいかなかったらしい。

拍子抜けした半面、私たちは大丈夫だと安心する気持ちが強かった。私も随分エ

ゴイストになってしまったようだ。

 

けれど今も聖のことがわからない。私は本当に安心していていいのだろうか?

 

 

窓の外を見る。

手入れされた花壇はきれいではあったけれど、整然としすぎていて落ち着かなか

った。触れることのできない花、窓をへだてた外に見えたそれは誰かを思わせる

さっきまで蓉子と重ねていた唇を指でなぞる。思い出すのは、藤堂志摩子がいれ

てくれたブラックコーヒーの味。別になんてことないコーヒーの味が蘇るなんて

どういうことだろうか…

その答えはまだ出さないでおこうと思う。

背中には蓉子の視線をかんじる。今の私にはなくてはならない人。誰が藤堂志摩

子がいざ私の目の前にあらわれても彼女を求めるきもちは変わらない。いや。む

しろ強くなったかもしれない。藤堂志摩子を山百合会に入れることを許したのは

、彼女は私と似ていて、一度突き放せば二度とリリアンで振り向くことはないだ

ろうと思ったから。

私と志摩子の在り方は弱い部分だけそっくりだ。

だからだろう、それを見せつけられているようで、

ひどく、

渇く。

 

 

今日も明日も、私は蓉子を求める。何度も。

止まることない時間の音と、誰かが近づいてくる足音を聞きながら。逃げられな

いと、知りながら。

 

 

志摩子は薔薇の館に頻繁に呼ばれるようになっていた。

最初のうちは主に由乃さんがメッセンジャー役を担ってくれていたが、最近は薔

薇の館の面々が声をかけに来てくれる。

嬉しいと思う反面

それがなくなる日がいつかは来るのだと思うと、手を離してしまいたくなる。

そして、志摩子を誰よりも薔薇の館へと引き寄せる人物。

『佐藤聖』

白薔薇さまは私を拒まない、でも積極的に関わろうともしない。

それが心地いいと思っていたけれど…

どこかさみしい。

でもさみしいと思う気持ちは素敵だ。

誰かがそばにいること。

誰かを…求めていることの証。

それはいけないことだと思っていたけれど、こうして胸のうちにしまいこんで、た

まにこうしてとりだして、味わう。

 

それくらいは、マリア様、

私にも許されていますよね?

 

志摩子は心の中で問いかけた。

 

この間珍しく白薔薇さまとふたりでお話することができた。

志摩子はいつも白薔薇さま本人が好んで飲まれているのがコーヒーだと知っていた。

特に御自分の嗜好を語ることの無い方だから、最初はわからなかったけれど。

どうしていわないのか不思議に思っていた。

目立つから勘違いされやすいけれど、白薔薇さまという人は決して自己主張の強い方

ではないのだ。

志摩子はここへ自分を呼んでくれた白薔薇さまに、少しでも恩返しをしたくて、ああ

して主張したつもりだった。

『私は知っていますから、遠慮なくどうぞ』と。

私がここにいられるまでの間は…

私には、どうか、

素顔を、見せて…

 

志摩子ははっとする。

なんて大それたことを考えてしたのだろう。

恥ずかしくて、

そんな自分の本音が信じられなくて。

志摩子はしばし、何も考えられなくなった。

 

 

薔薇の館に今日も呼ばれた志摩子が、2階の扉の前についた時だった。

「志摩子さん、ごきげんよう」

悠然と微笑むのは紅薔薇のつぼみの小笠原祥子さまだった。

非常に聡明だけれど、ご家庭の環境のせいか多少突飛な言動も目立つ。

志摩子はある日、紅薔薇さまに挑発されて、ヒステリーを起こす様を見て唖然として

しまった。しかし周りは全く意に介さず、

「あぁ。いつものことよ」

と言った。

怒る、ということに無縁な志摩子にとっては信じられないことだった。

「ごきげんよう、祥子さま」

「ねぇ、あなたはやっぱり白薔薇さまの妹になる気はないの?」

単刀直入。祥子さまはストレートだった。

「えぇ、ありません。というよりなってはいけない、と思っています」

「それは…どういう意味かしら?」

祥子様はごく冷静に聞いている。きっと答えるまでは解放してくれないだろう。

「私は…そんな資格はないんです…」

「それは…白薔薇さまに限った理由なのかしら?」

「え?」

 

その先を答えることはできなかった。

勢いよく扉が開いて、志摩子は飛び出してきた人物の下敷きになったからだ。

目を開くとそこには…

 

 

「蓉子、しつこいね」

「私のこと…邪魔じゃ…ないわよね?」

「そうやって聞かれるのが何より邪魔」

あのあと蓉子はふと不安に襲われて、聖に聞いてしまった。

『私のこと邪魔じゃないわよね?もう』

聖はこちらを振り向くことなく

『うん』

とだけ答えた。ふと怖くなった。

だからいつもなら、満足できるのに、だめだった。

もっと何が別の確かな言葉が欲しくて…

そんなもの…もらえるような立場じゃないのに…

忘れていた。

そして何度も聞くうちに聖をいらだたせた。

「もう、帰る」

「これから会議が…!」

「知らない」

聖はかばんをもって扉を勢いよく開けた。

するとそこには…

 

 

しまったと思ったのは祥子の顔が見えてからだった。

しかし、それよりも手前に人がいたらしい。

私の身体は彼女にぶつかり、小さなその人物はそれを支えきれず、倒れた。

ふんわりと肌に触れたのは、長い柔らかい髪。

誰なのかわかってしまって、私の胸には苦い後悔がわきあがった。

普段この体勢なら、下にいるのは違うのに、なんて無駄な考えがよぎる。

彼女の体温を感じて、こみ上げたのは、思いがけない愛しさ。

なぜだろう?

どうしてだろう?

彼女はぎゅっと目をつぶっている、この場合当然だ。決して何かを求めている

訳ではないのに、不思議と高鳴る鼓動。

やだ、やめてよ。

こんなどこか、恋愛じみた反応は。

ばたんと床に叩きつけられる。

彼女の肌は冷たくて、さっきまでの私の中の濁った熱さを冷ましていく。

不快じゃない、熱がでた時の氷まくらみたいな、

ほっとさせられる冷たさ。

しかし、次によぎったのは、

途方も無い嫌悪感、彼女に対してではなく、

私に、私のしたことへの嫌悪感、憎悪。

耐えられなくて、彼女の体から衝撃に痛む自分の身体を無理やり引き剥がした。

 

 

「ごめん」

聖の口からでた言葉はそれだけ。

「いえ、大丈夫でしたか?」

志摩子はこんなときでも相手を気遣う。

「ふたりとも…どこか痛まない?」

蓉子は、誰より辛そうだ。

 

うやむやなまま、続々と皆がやってきて会議が始まった。

聖はいまだに憮然とした顔で、蓉子は不安な気持ちを必死で隠しながら、司会を

続ける。

 

 

 

会議が終わり、聖と蓉子はいつものように残っていた。

あんなことがあったのに、習慣とは恐ろしい。

沈黙が痛くて仕方が無いのに、蓉子は自らこの場を去れずにいた。

すると聖が突然蓉子を抱きしめてきた。

はじめは慣れなかったこの距離。

いまやこうしていなければ、不安に耐えられないとすら思う。

けれど、この恍惚の時は続かず、聖は蓉子の肌に触れた。

いつも以上の性急さに蓉子は息を飲んだ。

「聖、お願い。待って…キスし…」

蓉子の願いは聞き入れられなかった。

 

 

所詮は恋人の真似事。

蓉子はその現実を、眩暈を起こしそうな快楽の中で受け入れた。

 

 

 

 

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