収穫逓増をこわしたい

 

 

 

「ふーん、じゃ姉妹に成り立てっていうか、知り立て?」

「お姉さま、そんな日本語ありませんよ」

陽気に笑い会う二人。

前黄薔薇さまである鳥居江利子さまと、現黄薔薇さまの支倉令さま。

何故自分がこんなところにいるんだろうか?

笙子はただこの場にいる不思議から抜け出すことができず、グラスの中で溶けて

いく氷を見ていた。

笙子の隣には、現黄薔薇のつぼみである島津由乃さまがいる。不機嫌という訳で

はないのだが、複雑な顔だ。

リリアンの生徒がこのお三方に囲まれたなら、幸福のあまり舞い上がるか逃げ出

すかのどちらかだろう。

しかし、生粋のリリアン生であるはずの自分はそのどちらの反応もしていなかっ

た。

後悔…しているんだろうか?私は。

笙子は隣の由乃さま…笙子のお姉さまの顔色をうかがってしまう。

どうして笙子が由乃さまの妹になったのか?そのことに関しては紆余曲折、聞く

も涙、語るも涙があったりなかったりする訳だがその経緯は別の機会に譲ること

にする。

ここで大切なのはあくまで結果。

内藤笙子は島津由乃の妹になった、ということ。

江利子さまの知りたてという表現は非常に正しい。

運命とは常に急ぎ足で、笙子と由乃はこの意味で運命的に姉妹になった。

そしてふたりであまり話す機会もないまま、笙子は突然電話で呼び出された。そ

の時実は笙子も電話をしようとしていたから驚いた。

用件は簡潔で

「明日、剣道部の試合があるから見に来て」

だった。

笙子は即

「行きます」

と答えた。何故ってそれは笙子の用件と同じだったからだ。嬉しかった、呼んで

くれたことが。

そして指定された時間に待ち合わせ場所に行ったら、そこには

今笙子の周りにいる三人がいたのだ。鳥居江利子さまには以前見られてはいけな

い時に遭遇していたから、回れ右して逃げたかったけれど…出来なかった。

由乃さまと初めてこうして外で会えたのだから。もし気付かれたら素直に謝るま

でだ。

「まぁ知り立ては認めないってルールはないしね」

「そんな勝負をしていたなんて、ちっとも知りませんでした」

「勝てなかった時恥ずかしいからじゃない?」

にっこりと笑って意地悪な発言をする江利子さま。いまいち会話の筋がわからな

いが、由乃さまは明らかに顔色を変えたのがわかった。

「違いますっ、絶対に勝つって決めてたんですから。令ちゃんに心配かけないよ

うに言わなかったんですっ」

「まぁ、由乃ちゃんも成長したのねぇ。おばあちゃんはうれしいわ」

由乃さまの言い分など頭から信じていないのだろう。江利子さまは受け流してし

まった。何だか意外だ、江利子さまはこんな人だったのか。

「あのーひとつお尋ねしたいんですが…」

「何?」

令さまと江利子さまの声がハモった。ちょっと圧倒されながらも、笙子は言葉を

続ける。

「勝負ってなんなのでしょう?」

「知らなかったの?」

再びハモる。そんなに私が知らないことがおかしいことなの?

「あー!あー!」

由乃さまが突然大声を発して席を立った。

「な、なに?大きな声だして。由乃」

令さまにも理由はわからないようで、慌てている。

「由乃ちゃん、座りなさい」

どんなこともこの人を驚かせたりはしないのだろうか。クールな口調で江利子さま

は由乃さまを制した。

「令ちゃん、い、いえお姉さま、あの映画今日までですよ!」

「え、映画?」

「ほら、あれ!お姉さまが大好きな小説が映画化されたやつ。練習が忙しくて見て

いなかったのではありませんでしたか?」

「あ、そういえば…でも今日は…」

すっと令さまは江利子さまや笙子を見た。当然の反応である。

笙子はともかく、自分のお姉さまを置いて映画には行けないと思う。

「江利子さまはその映画ご覧になりましたか?」

話題を由乃さまはむりやり変えてしまわれた。私の質問は触れてはいけないことだっ

たのだろうか。はぐらかされたことよりも、自分だけが知らなかったというのが笙子

は悲しかった。

「最近映画はご無沙汰だから。何の映画かわからないけど、たぶん見てないわ」

その返答に由乃さまは深くうなずく。

「じゃ、ふたりで行ってきて」

「は?」

今度は由乃さま以外の三人の声がハモった。

「あんまり会う機会もないんだから。お姉さまと江利子さまで行ってきてください」

3人はぽかーんとした顔で由乃を見ている。3人とも由乃さまの台詞が意外で仕方

がないのだ。

数秒ののち、江利子さまが笑い出した。

「ど、どうしたんですか?お姉さま」

「何でもないわよ、令。

 ありがとう、由乃ちゃん。お言葉に甘えさせてもらうわ」

一瞬顔をゆがめたものの、由乃さまはにっこりと微笑んで

「えぇ、いってらっしゃいませ、江利子さま」

と言った。こわい。

「いきましょう、令」

江利子さまはしっかりと令さまの手をとって、引っ張る。

「え、でも、由乃…」

令さまは由乃さまのことが放っておけないのだろう。江利子さまの誘いの手は拒ま

ないものの、身体を動かしてはいない。

「いいから、行って」

「…わかった」

由乃さまのきっぱりとした態度に一瞬ひるんだが、令さまは由乃さまの頭を軽くな

でて、席を立った。

 

令さまと江利子さまがお店を出るまで、由乃さまは微動だにせず座っていた。

自動ドアが開く音がして、その時になって、初めて由乃さまはふりむいた。

その寂しげな瞳を笙子は忘れないだろう。

きっとどんなことがあっても、この表情を向けられるのは令さましかいなくて、そ

れは変わることがない。

その事実を笙子は100の言葉より雄弁な瞳で教えられた。

この人の一番は令さまなのだ。

ほんの少し前に交わした笙子との縁など、取るに足らない。

 

 

「自分で送り出しておいてなんなんだけど…やっぱりさびしいね」

由乃さまはごく小さな声でつぶやいた。

「由乃さまが令さまのこと好きなのは、よくわかりますから」

笙子は笑ってそう答えるしかなかった。

由乃さまは「そっかぁ、そんなにわかりやすいんだ…」と苦笑して言った。

 

わからないはずがない。

あなたが令さまを見ていたように、

私もあなたを見ているのだから。

 

「あ、あのね…さっきの勝負のことなんだけど…」

流されたのかと思っていた。やはり言いにくいことのようで、ごにょごにょと言葉を

濁す。

「いいんです、言いたくないんですよね?」

「え?でも」

そこへ再び自動ドアが開く音がした。つかつかと歩いてきたのはなんと、

「忘れてたから」

江利子さまだった。

「どうなさったんですか?れ、お姉さまを待たせておいていいんですか?」

「つれないわね、由乃ちゃん。

 私もね、おばあちゃんぶりたくなったの。だからひとつ忠告しておくわね」

忠告。

その言葉に由乃さまはぴくりと反応したように見えた。

「楽になりたがらないこと。嘘もつけないなんていわせないわよ、

私を失望させないで、由乃ちゃん」

飛び出した忠告は笙子には意味不明だ。

それでもきついことを言ってるだけはわかる。

「…最初で最後の忠告にしてさしあげられると思います、江利子さま」

「それは良かったこと」

挑戦的な視線を受けても、さらりと笑って受け流す。

江利子さまは笙子にはとても理解できそうにない。

「笙子ちゃんだったわね?」

「は、はい」

笙子は全く話しかけられることを想定していなかったので、驚いてしまった。

「あのね、これからなのよ。きっと変わってゆくものがあるから」

江利子さまの笑顔はその時とても優しげで、笙子は江利子さまがきちんと自分を

認識してくれていたのだとほっとした。

「じゃあね〜」

江利子さまは今度こそ戻ってくることはなかった。

 

 

「笙子ちゃん」

「何でしょうか?」

由乃さまは真面目な顔で、笙子を見ている。

笙子も自分の顔が引き締っていくのがわかる。

「今、私はいい姉ではないかもしれない。今日だってあなたを置いてけぼりにして

しまってた」

「いえ、そんな…」

「でも、これからはそんな風にはしないようにするから、笙子ちゃんもちゃんと自

分の気持ちは伝えて」

「…はい」

 

「まず、呼び方を直しましょう」

「はい?」

突然話題が切り替わる、これからは由乃さまのこのペースについていかなければな

らないんだろう。

「笙子?」

「うわぁ!はい」

「そんな奇声あげないでよ。はい、笙子も呼んでみて」

「お、お、おねえ…」

「しっかりしなさーい、明日から呼べるように練習ね」

 

 

そう、明日。明日があるとはなんて素敵なことだろう。

まだ絆はない。

でもこれから作っていけばいい。

江利子さまみたいにはできないけれど、

笙子なりの方法があるはず。

 

きっと見つかる。

だって笙子はひとりじゃない。

一緒に歩んでいく、お姉さまがいるのだから。

 

 

 

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