いつか問われる(10)

 

 

 

「志摩子」

「お姉さま」

お互い無言。

「何でもない、ごめん」

「そう…ですか」

繰り返されるこんな会話。

志摩子は自分が見ていた景色はお姉さまが見ていた景色とははずれていたんだと気付いた。学園祭が終わって、お姉さまと紅薔薇さま

との間に何か違うものが流れ始めた。きっと気付いたのは私だけだと思う。

もしかしたら…江利子さまもご存じかもしれない。

あの三人は特別な関係だから。

おそらく、はた目に見れば自然すぎる程友達らしい関係に思える。あのどこか排他的なムードは消えてしまって、私はそれにどこか安心を覚えていた。

けれどそれは間違いだったと知る。

お姉さまは何も語らないけれど、時に私を決意に染めた瞳で見つめる。その度に繰り返すのが、さっきの会話。一体お姉さまは何を考えているのだろうか。

私のことを…どう思っているのだろうか。

私のことを少しはすきでいてくれてるんじゃ、なんて私のただ願望なのかしら。志摩子は計りかねていた。

 

今にして思えば、あの桜の下で出会った時から私はあの人のことがすきだったのだと思う。

それをとめていたのは私が培ってきた理性。今もそれが時に私を責める。けれどもう戻れない。私は二度目の桜の下で決意をした。すべてをこの人の手に委ねて、賭けてみようと。

紅薔薇さまとの関係が頭を過らなかったと言えば、嘘になる。

きっとこの選択は山百合会を与えてくださった紅薔薇さまを傷つける行為だ。

でも、もう今更。

ずっと紅薔薇さまはあの人がすきだったのだと思えば、私があの

場に、お姉さまの言葉によって引き寄せられたその時から痛みは始まっていたのは疑いようがない。

紅薔薇さま、私はお姉さまのことがすきです。

一度手を伸ばしてしまったから、

もう失うことなんて考えられない。

お姉さま、どうか私をすきでいて。

 

 

「聖」

私は山百合会に行くのがためらわれて、最近よく教室でひとり

ぼーっとしてしまう。

リリアンの生徒達はみんな真面目だから、部活がある者は部活へ、それ以外の者はすみやかに下校してしまう。行くべき場所があるのに向わず、からっぽになった教室にいる私はどんなに普通の皮をかぶっていても、ただの異端なんだろう。

そんな私を彼女は受け入れてくれていたのに、自分の中の処理できない感情をもてあまして、傷つけてしまった。

そのやさしさの在処を一度も疑うことなく、目に見える彼女の

身体にすがった。

彼女の心が見えなかったのは、彼女が見せまいとしていたから。すべては私を思う彼女の善意。その善意を私は悪意でとらえていた。同情とかそんなものに自分に都合よく変換して、見るべきものから目をそむけた。その結果、蓉子は私から離れていった。これでよかったんだと思う。償うことができるのかなんてわからないけれど、蓉子は大切な存在だから。

蓉子が大切な存在だとするならば、志摩子は運命の存在だろう。

どんなにあがらっても、どうしようもなくひかれていく。

私の過去とか未来とかそんなものを無視して、私の心を連れていく。運命は残酷だ。甘くて苦しくて、逆らえない。志摩子のことを思うと、他の何も考えられなくなる。息を忘れる程、私はあなたに恋をしているんだと、わかっている。

でもそれが正しいのか?選ぶべきものは何か?正しいか正しくな

いかなんてたいした問題ではないのだけど。

私は迷っている。志摩子にひかれているのに。手に届くところにいるのに。

自分の情けなさは自覚していたつもりだったけど、こんな風に迷うことになるなんて思わなかった。

何を迷っているんだろう。志摩子の手をとって離さなければいい。それなのに、てのひらに残る幻影は一体何?それはきっと口にしてはいけないのだと思う。

「聖、いい加減気付いてよ」

「え?あ、江利子」

どうもずっと声をかけてくれていたらしい。

「ねぇ、もう蓉子を振り回すのやめてよね」

つきささった、冷たい言葉。

「蓉子は自分で立ち直るわ。だから聖はすべきことをして」

「江利子…」

「いいたいことはそれだけ。じゃあね」

江利子は私の返答など聞く気はないらしく、去っていった。

一体江利子はどこまで見えているのか。

恐い友人だ。最も江利子が今でも私を友達だと思ってくれているかはわからないけれど。

こぶしを握る。幻影は音もなく消えた。

私は運命を選ぶ。幸せになれないかもしれないけど、それが選ぶべき彼女が示す道。

薔薇の館へ行こう。きっと志摩子はいるだろうから。

鞄を片手に、何故か重い身体で歩きだそうとした、その時。

「お姉さま、こちらでしたか」

「志摩子」

せっかちな運命を私は笑う。逃げ場はなく、これが答えだとつきつける。

それならば、

時を戻して彼女を傷つけることなく出会わせてほしかった。

もっと早くに。

「薔薇の館へはいらっしゃらないのですか?」

志摩子は笑いかけてくれる。

さらさらと色素の薄い髪が揺れて、きらめく。

ただそれだけのことが私の心を動かしてしまう。

こんなにこんなにいとしい。

きっと間違っていない。

「志摩子、ちょっとおいで」

志摩子は首をかしげながらも近づいてくる。

手が届く距離から、私が腕をのばして強引に引き寄せた。

「ねぇ、志摩子。私を好き…?」

志摩子の体がぴくりと反応する。

けれど、言葉はもたらされなかった。

「教えて…志摩子の気持ちを…」

志摩子は私の身体を軽く押し返して、私を見た。

「はい、私は佐藤聖が…すき…です」

志摩子の真剣な言葉に、私はどんな思い出を失っても良いと思った。彼女の言葉は、それ程私を溶かす。

私は志摩子の顎を支えて、くちびるを近づけた。

きっとそこから注ぐ思いは、私を甘く流し、全てを忘れさせるだろう。

「待って」

しかし、聞き覚えのある言葉が私を制す。

そう、

志摩子への思いを嘘だと思いたくて、薔薇の館で彼女を…蓉子を抱いた日。

どうして、そんな昔のことが頭を過ぎるのか?

何故…?

「お姉さまは、私のことがすき…ですか?」

志摩子の潤んだ瞳、

私は、

私は、

…その一瞬の迷いを志摩子は見逃してはくれなかった。

「お姉さま…罪悪感で私をお選びになるのでしたら、やめてください」

拒絶したのは志摩子、けれど、傷ついたのは志摩子。

悲しそうに私を見ている。

力の抜けた私の腕から志摩子はするりと逃れた。

「お姉さまはお帰りになったと伝えておきます」

志摩子はそれだけ言うと去っていった。

きっと泣いている。志摩子の背中は雄弁だった。

私は追いかけることすらできずに立ち尽くす。これは報い?

ふたりの人を傷つけた、

いえ、もっと前、栞を傷つけたことかもしれない。

だとしたらこれから始まる孤独には終わりはないのかもしれない。

 

 

私は今日、この手で全ての報いを受け取り、この手にあった全てを失った。

 

 

 

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