正直者の故意、嘘つきの恋(1)

 

 

 

祥子は我が耳を疑った。

目の前の人物は確かに祥子のよく知る友人であり、

決して宇宙人ではない。

しかしそれでは説明がつかない。

一体今、令は何といったのか?

「え、と…だから」

顔を紅潮させている。

どうやら自分の聞き間違いではなかった可能性が

高まったようだ。

 

…それは困る。

 

「だからね」

「えぇ」

「その…」

 

支倉令という人は

その見た目のりりしさと

中身に大きいギャップのある人物だ。

控えめで自己主張の強いタイプではない。

常識人でもある。

小笠原祥子はこの山百合会に入り、

何度お姉さま方に

「あなたの常識は常識ではない」

と言われたかわからない。

少なくても両の手では足りないだろう。

それに比べて彼女がそういった批判を

あびたところは見たことがない。

つまり祥子と比較して

令は常識人だということになる。

しかし常識とは何だろうか?

少なくとも祥子が

日常生活を送る上では特に問題なかった。

ただ幼い頃を思いだせば、

自分が周りの子から浮いていたのは事実で

祥子は日常生活そのものを

定義し直さなければならなかった。

つまり常識もその人なりの常識があり、

決して文書化して安易に統一できるものではない

ということがわかる。

 

…だんだん話がずれてきた。

 

目の前の出来事から

目を背けようとしているのは明らかだ。

頭を切り替えるべくさっきの言葉を思いだしてみる。

 

……やはり何かの間違いだろう。

間違いであってほしい。

あなたにまでそんなことを言われたら、

私はどうしたらいいのだ。

だからどうか早く次の言葉を。

 

「私の……恋人のふりをしてほしいの」

内緒話でもしているのか?

いや内緒話ではあるのだが、

聞き取るのが困難なほどの小さな声で令はそう言った。

間違いではなかったらしい。

では…

「何の冗談?笑えなくてよ、令」

笑ってほしかった。

嘘だと言ってほしかった。

「冗談でこんなこと祥子に頼めないよ」

けれど、彼女は祥子に望む言葉をくれなかった。

祥子は自分の運命を呪いたくなった、

何故私のすきになる人はこうなのか?

祥子は令に自分の気持ちに

応えてほしいと思っていた訳ではない。

この展開はあまりに残酷だった。

頭の中で繰り返すのは優さんの言葉。

けれどひとつだけ違うことがあった。

「こんなこと頼めるの祥子しかいないの。

 だからお願い、助けて」

目の前の令はひたすら申し訳なさげにいた。

頭を下げ、声色は弱々しい。

何が令にこんなことをさせているの

かわからない。

けれど祥子はそれだけで、

この困り切った令を放っておくことができなかった。

祥子は声の震えに気付かれないように問う。

「何故?」

「祥子が怒るのも無理ないってわかってるんだけど」

声の震えは隠せなかったらしい。

けれどそれを令は祥子の怒りの表れだ

と思ったようだ。

祥子は返す言葉がなく、続きを待った。

「実はこの間告白されてね」

特に驚くべきことではない。

このりりしい友人は

学園の中でまるで王子のように扱われているからだ。

このような報告を受けることは初めてではない。

その度に、

焦りと、

打ち明けて貰えるという優越感を

祥子は抱いた。

「いつもならその場で断って

 それで終わりなんだけど……」

ここまではいつも通り、

では一体彼女に何があったのか。

「私の言い方が悪かったのか、

 最近ずっとつきまとわれてて…

 別に何かされてるわけじゃないんだけど

 なんだか恐くて…」

そのまま消え入るように

令の話は終わってしまった。

実は祥子にも似たような経験がある。

相手は男性だったが、

登下校中じっとついてくるのだ。

しばらくは放置していたが、

気味が悪いので両親に相談したところ

一体何があったかわからないが

以後その人物は祥子の前に表れることはなかった。

「やめてほしいって言ったら?」

祥子とは違って

令の場合相手が分かっている。

そのくらいのことは簡単にできるはずだ。

「言ったんだけど…泣かれて、

 あんまり強く出られなくて

 曖昧にしてしまったから…」

令は甘い。

それは彼女の良さではあるが解決は難しいだろう。

「だから…

 そういう相手がいれば

 諦めてくれるかなって思って…」

肩を落として語る令に

祥子はしばし何と話し掛けていいか判断に迷っていた。

「れ、」

「ごめん!祥子」

祥子の言葉を令は突然遮った。

今日、いちばん大きな声だった。

「やっぱりこんなの祥子に頼むべきじゃなかったよね。

 祥子は嘘とか嫌いだもの。

 ごめんなさい、忘れて」

 

“忘れて”

 

そんなことできるはずがない。

そこまで言っておいて、

取り下げるなんて信じられない。

でも何より信じられないのは、

それを許し受け入れようとしている自分自身。

「つきまとわれなくなるまで、でいいのね?」

「え?」

下げていた頭を令は上げた。

何を言われたのか把握できていないのか、

視線は何かを求めて祥子へ向かっていた。

「いいわ、引き受けましょう」

出来るだけ淡々としたトーンで話すよう努める。

これから何が起こるのかわからないけれど、

この優しく鈍感な友人を助けたいと

思ったのは事実だから。

過去の思い出に胸はまだ痛むけれど、

令の力になりたかった。

「ほんとにいいの?」

「私はそんないいかげんな人間じゃないわ」

令の目は喜びととまどいが交互に映っている。

「ありがとう」

令は席を立って祥子に頭を下げた。

祥子は鞄を持って、立つと令の肩に触れた。

「私たち友達でしょう」

令はなぜか少し寂しげに笑って、

また「ありがとう」と言った。

「帰りましょう」

祥子は令を促した。

山百合会に入って、同学年である令とは出会った。

こうして一緒に帰ることは少なくなく、

投げられた微笑みとか

さりげない優しさとか

そんなものにたくさん触れたと思う。

すきな理由なんて、

そうすぐ思いつくものではないけれど

すきな瞬間はいつの時もあふれている。

きっと今日の帰り道もずっと忘れられないだろう。

「ついて来てる…」

令はつぶやいた。

「そうなの?気付かなかったわ」

振り向こうとした祥子に令は言った。

「ねぇ、祥子」

「何?」

令に視線を戻す。

「手繋いでいいかな?」

 

何も考えられなくなった。

 

「つきあってるフリ、だから、ね?」

「あ、あぁそうね」

そう、自分は引き受けたのだ。

フリ、を。

この胸の高鳴りも

全ては嘘から生まれたものだ。

それが嫌じゃないとはやはり言えない。

令が祥子の手を取った。

 

ひときわ大きく心臓が踊る。

 

気付かれないように深呼吸した。

「行こう、祥子」

「えぇ、令」

 

結ばれた手、結ばれた約束。

次、それが離れた時、

一体何を得るだろう。

 

共犯者のふたりは、マリアに背をむけて歩きだした。

 

 

 

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