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あのひとをください。

あのひとをください。

それしかかんがえられない。

 

その日水野蓉子は朝から珍しく小笠原祥子に出会った。

幼いころから規則正しい生活をし、

遅刻などしたことがない彼女は

毎日同じ時間に登校していた。

2年生になり、この行動に気付いた生徒たちは

いつか蓉子に話し掛けようと毎日健気にも時間を

合わせているようだ。

最初は偶然だと思っていたのだが、

珍しく聖と登校を共にした日に

「視線が痛い」

と言われ、

「何のことか?」

と聞いたら溜息と一緒に解説された。

聖は

「狼の群れに一見賢いけれど

  天然な羊を放り込んでるみたいだ」

と言った。

何のことだかよくわからない。

私はその頃から聖のことがすきだったけど、

聖は栞さんのことしか見ていなくて、

たまに朝一緒になったのは栞さんとの

待ち合わせがあったからだ。

胸が痛かった。

バスを降りれば、

息は白く染まりコートの襟を

立てたくなる季節をむかえたころ、

聖には転機が訪れていた。

クリスマスパーティの誘いにも

気のない返事しかくれなかった。

その日の朝だった。

低血圧の祥子がわざわざ朝方私に会いに来たのは。

「ごきげんよう、祥子。珍しいわね」

「ごきげんよう、お姉さま。

  どうしても今日お願いしたいことがありまして

  お呼びしました」

その時も祥子はいつもどおりに笑っていたから、

あの見る者をのんでしまう笑みを浮かべていたから、

私は気づかなかった。

「珍しいわね、祥子がお願い、だなんて」

祥子はその環境が大きく影響しているのだと思うけど、

自分から何かを求める、

主張するということが苦手だ。

小笠原家のひとり娘として、

蝶よ花よと育てられた祥子は自分で動かなくても、

周りの気遣いだけで自分の思う通りになってしまうのだ。

それが一概に悪いとは言えない。

それが彼女の優雅さを生んでいることも確か

なのだから。

でも祥子は学ぶべきなのだ、

それではあなたは領域を出た途端

ほしいものが手には入らなくなる、と。

だから私は彼女が何を言いたいのか分かっていても、

あえて目をつぶることをする。

しかし、想定外のことが起きた。

「お願いしたいこと」

だなんて思い当たらない。

「今日、放課後お時間をください。

  温室で待っています」

「え、パーティの時じゃだめなの?」

「お願いします、来てください」

目的がつかめない。

でも祥子は譲る気配が微塵もなくて、

断ってよい類のものではないことだけは理解できた。

「わかったわ」

「ありがとうございます」

私が提案を受け入れても、

祥子の表情は明るくはならない。

むしろ何かに怯えるような、

挑むような顔をしている。

私はその意味を計りかねて、

妹が去っていく後ろ姿を見ていた。

 

放課後、私は祥子に会うために温室へとむかう。

少しおかしい祥子の様子に

いまだひっかかるものを感じていた私は

会ったらきちんと確かめようと決意していた。

わざわざ私に会いたいという真意は予想がつかない。

ロザリオを突き返されるというのはないな、

と自信はある。

あのこの姉は私にしかできない、

きっと祥子もそう思っていてくれているはずだ。

何か相談ごとでもあるのだろうか?

クラスで祥子が馴染めていない

という話は聞いていない。

誰かとべったりしている訳ではないようだが、

皆と友好的につきあっていると蓉子は見ていた。

では…

家庭の問題、か?

 

はっきりと形をなして、

それを蓉子は把握はしていない。

しかし何気ない会話の端々に

蓉子は祥子の家庭には何かしらの欠落を感じていた。

安易に踏みこむべきことではないが、

気を付けておくにこしたことはないと

心に留め置いて来たことだった。

気持ちが引き締まる気がした。

温室の扉を押して、

そこには祥子がいるはず、

だった。

「いない……」

鞄の中にしまっておいた時計を探す。

まだ少し早かったのかもしれない。

蓉子は読みかけの文庫本を時計の代わりに手にとると、

しばし外の景色を忘れた。

 

区切りのよいところで、ぱたんと本を閉じた。

もう一度時計に手を伸ばす。

「遅い…わね」

まさか忘れている?

いや、祥子に限ってそんなことはあるまい。

自分から言いだしたのだから。

誰かに捕まっているのだろうか。

山百合会は生徒会であるため、

よく教師、学生を問わず呼び止められ

質問を受けることがある。

結果的に目的地に着くのが遅れてしまうのだ。

蓉子はメモ帳を取り出して、

書き置きを残す。

祥子の教室まで一度遡ってみることにした。

 

辺りを見回しながら、

歩いていく。

見当たらない、生徒の姿もまばらだ。

すれ違う生徒に声をかけた。

「紅薔薇のつぼみ、ごきげんよう」

「ごきげんよう、祥子を見なかったかしら?」

彼女の視線は空を泳いだ。

「いえ、見ていません。薔薇の館ではないのですか?」

「えぇ…ごめんなさい、ありがとう」

礼を言うと残り少ない祥子の教室への道程を歩いていく。

祥子の痕跡すら、

見いだせないまま教室へと行き着いてしまった。

どうしたのかしら…

苛立ちはない、

ただ不可解な思いが私を支配している。

「薔薇の館」正直そこにいることはないと思う。

いたら悪いという意味ではない、

むしろいてくれれば安心する。

蓉子は我知らず始まってしまった鬼ごっこに

どうしてよいかわからなかった。

 

「やっぱり、いませんね」

「蓉子ちゃん、どうしたの?」

聖のお姉さまがそこにはいた。

他のメンバーは席を外しているらしく、

持ち主のいない荷物がいくつかある。

「祥子、こちらに来ませんでしたか?」

「来ていないわ、どうしたの?」

「祥子に呼び出されていたんです。

 でも待ち合わせ場所に現われなくて」

聖のお姉さまは口元に手を寄せて、思案している。

「そう…私も今日は見ていないわね、祥子ちゃん。

 探してらっしゃい、あなたのお姉さまには伝えておくから」

「ありがとうございます、白薔薇さま」

頭を下げると、もう一度温室へむかった。

 

「まだ、いない…」

書き置きにも変化はなく、ここに訪れた形跡はない。

蓉子はもう一度、今朝の祥子の様子を思い返した。

あの時問い掛けておくべきだったのか。

一体祥子はどうしたのだろう。

何かアクシデントに巻き込まれたのではない

と仮定して考えてみる。

何かのアクシデントに巻き込まれた可能性は

校内にいる以上限りなく低いし、

もしそうならば

せいぜい蓉子にできることは教師に申し出ることくらいだ。

それを実行する前にもう一度考えてみよう、

何か見落としはないか、と。

やっぱりひっかかるのはあの表情、

怯えたような挑むような。

祥子は「来てほしい」と頼んだ、

つまり私がここに来ることが最大のポイントだったわけだ。

話など実はなかったという可能性はゼロではなかろう。

しかし私がここへ来ることが重要であるのなら、

それを祥子の目で確かめる必要があるはずだ。

でなければ意味がない。

 

結論、

祥子はこの近辺にいる。

 

私に見つからないように隠れながら、

どこかから見ている。

ここでがさがさと私が探しに出たら、

やはり祥子は逃げるだろう。

周囲には草木が多く、死角だらけだ。

逃げ切られる。

では、

祥子から出てきてもらうしかない。

薔薇の館に応援を頼むことができないなら、

手はひとつしかない。正攻法だ。

 

蓉子は温室を出て、

最も姿を隠しやすそうなあたりにむかって立った。

すっと冬の冷たい空気を身体に吸い込む。

静かで、

蓉子は言葉を発するのを躊躇う。

 

息をひそめて、たぶん私を見ている祥子。

祥子を狙い、頭だけが稼働している私。

ふたりの気配だけが波紋を広げて、

ここの空気を揺らしている。

「祥子、いるんでしょう?

 でてらっしゃい。

 私は来た、あなたを待った、満足でしょう?」

放った言葉が響く。

途切れた瞬間にかさりと小さな音、

それだけで私は正解を悟る。

けれど勝負はこれからだ。

引きずりださなければならない、

なんと難しい妹か。

「あなたが何を望んでいるのか、

 私にはわからないわ。

 けれどこんなことをしていても

 あなたは満たされない、

 それだけはわかるわ」

まだ、出てこない。

けれど私の言葉に耳を傾けていることは確か。

「出てきて、話して。

 あなたの望むものはそこにしかない」

言い切った。

冷たい風が三度私の身体を貫いていく。

たぶん、祥子の身体も。

そして冬の寒空の下、

青々とした葉を広げた木々の隙間から、

緑の黒髪をなびかせて私の妹は立ち上がった。

 

「ごめんなさい、お姉さま」

それが、第一声。

私が近づいていくと、

祥子もおぼつかない足取りでむかってくる。

何かに足をとられたのか、

祥子の身体が傾く。

私は腕を慌てて取った。

立て膝をついて、

私の身体に頭を預けた祥子は

うわごとのように「ごめんなさい」をつぶやく。

「怒ってないわ、

 どうしてこんなことしたの?

 理由がわからないと繰り返してしまうわよ」

祥子は恐る恐る顔を上げた。

誇り高き祥子の頬は涙に濡れている。

私は言葉を飲んで、

祥子の涙を拭おうとした。

けれどそれは祥子の手によって止められてしまった。

 

「聖さまのところへ、行ってください」

 

驚いた、

まさかそんな言葉が返ってくるとは思わなかった。

「お姉さまもあの人たちのように

 私のことをおいて行かれるのかと思った」

あの人、

とは誰だろう。

 

……家族、か?

 

「だからこんな

 お姉さまを試すような真似を……」

私はただ祥子の独白を聞いていた。

あやすように背をなでる。

少しでも優しさが伝えられるように。

「でもお姉さまは違った、

 だからもう……」

そこで言葉は切れてしまった。

今は何も聞くことができないけれど、

いつかその胸の内を

…軽くして。

あなたには笑ってほしい。

 

「祥子、私はあなたのことがすきよ」

正面から、普段は言う機会がないけれど、

それはこんな時の紡ぐべきものだから。

「私もお姉さまのことがすきです」

祥子は小さく応えた。

けれど柔らかに満たされた笑顔を浮かべている。

 

そう、

祥子がほしいものをつかんだ瞬間を私は見たのだ。

そして、それが、私。

これ以上の贈り物なんてあるだろうか。

 

比べることなんて

陳腐だとわかっているけれど、

この幸せが溢れる日、

今いちばんしあわせなふたりは、

 

きっと、わたしたち。

 

 

 

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