光の在処

 

 

 

大事にしたいのに、

触れたところから傷つけて、

君が、自分がこわくなる。        

いっそひとつになれたらいいのに。

 

 

「もう、お姉さまなんて嫌いですっ」

今日も祥子のヒステリーが薔薇の館にこだましている。

今年の紅薔薇のつぼみは元気なことこの上ない。

聖はティーカップに口をつける。

琥珀色の液体は祥子の声をかき消して、

優雅な気分を連れてきた。

けれど、真っ白なティーカップから目を離したら、

再び現実に舞い戻る。

祥子のヒステリーの相手は当然蓉子。

現紅薔薇さまであり、祥子の姉。私の、想い人。

少しは私の気持ちに気付けと、

蓉子がこちらを見ていないのをいいことに

手で銃を模して打ち抜いた。

でも傷つけたいわけじゃない。

蓉子は祥子をほんとに可愛がっていて、

あんなに難しい子がいいなんて、

ほんとに世話好きだと思う。

ちょっとは放っておけば?って思うけど、

彼女のおせっかいに救われた私に言えた台詞ではない。

あの時、

彼女がどうしようもない私を助けてくれたように、

私も彼女を助けたい。

人の世話ばかり焼く彼女のことを

考えてあげられたらいいと思う。

 

にしても祥子のヒステリーは

よくもまぁあれだけ続くと思う。

聖の怒りはどちらと言えば盛り上がるのも早いが

下がるのも早い。

強い感情が長続きしにくいのかもしれない。

聖にはとても理解できないつきあいの良さで

蓉子は決して祥子を見捨てないのだ。

もうすでに薔薇の館には聖、蓉子、祥子

の三人しかいない。

帰り支度を済ませた鞄が聖の手を待っている。

 

一緒に帰りたかったけれど…

 

聖はいまだ続く祥子のヒステリーにため息をついた。

「もう無駄かな」

小さくつぶやく。

待つことは嫌ではない。

けれどあれだけのエネルギーをぶつけられたら、

聖ならとても耐えられない。

自分なら、ひとりになりたいと思うだろう。

誰かが待っていることは重荷だろう。

名残惜しい気持ちを振り払うように聖は席を立つ。

思ったより大きな音がでて、自分で驚いた。

「あ、ごめん。お先に失礼するから」

ぱっとふたりがこちらを見たから、おざなりに謝る。

もう一度、蓉子の顔を見たかったけれど、

潔くないなと思って止めた。

その後どうなったかは知らないけれど、

翌日のふたりは仲睦まじい姉妹だったから、

結局蓉子がうまく宥めたのだろう。

尊敬してしまう。

何せ聖は祥子を怒らせることに関しては

必要以上にうまいが、

宥める術なんて全く思いつかないからだ。

 

 

薔薇の館に入ると、蓉子が一番乗りだった。

「早いね、蓉子」

「そう?聖こそ早いわよ、いつもより」

「最後のは余計じゃないかなぁ」

軽口をたたく。蓉子は嬉しそうに笑っていて、

私もしあわせな気分になれた。

「昨日はごめんなさいね」

美しい眉を下げて、困ったような笑みを浮かべている。

きっと私が先に帰ったことを気にしているのだろう。

そんなことどうでもいいのに、

私のことで気なんか遣わせたくないのに。

「なんのこと?」

なかったことにすればいいと思った。

彼女を楽にできたらいいと考えたから。

「え?」

蓉子は予想外に表情を曇らせた。

何だろう?理由がわからない。

「そう…」

そのまま会話は止まってしまって、私も表情を曇らせた。

 

大切にしたいのに、

どうしてうまくいかないんだろう?

蓉子が祥子を扱うように、

どうして私にはできないんだろう?

私は蓉子を理解できていないのだということが重い現実。

あんなに近くにいたのに、

何も伝えることのできない言葉。

あまりに無力で、この気持ちが偽物みたいだ。

必死に欲しがるから、そればかりが先走って、

蓉子の気持ちが見つからないんだろうか?

蓉子に近づくことを

躊躇わせるようなことばかり頭を過るのに、

それが正しいんじゃないかって思うのに。

次の瞬間には抱きしめて、閉じ込めて、触れて、

私のことしか考えられなくなればいいと思っている。

そうしたら彼女に気持ちが伝わるかもしれない。

彼女の気持ちが捜し出せるんじゃないか

と乱暴な思考が止まることなく進んでいく。

馬鹿みたいに蓉子のことばかりが頭を占めている。

この頭を打ち抜いて、私の身体が意味を保たなくなったら、

気持ちの境界線なんてきっとなくなるのに。

彼女を撃ち抜いた銃で、私を撃つ。

何にも、起こらなかった。

「白薔薇さま、聞いていて?」

そう振ってきたのは江利子だった。

「やだな、聞いてるよ」

嘘。聞こえてるの間違い。

江利子は興味なさげに、再び話を戻した。

ごめんと心の中で謝って、

今度はきちんと話を聞こうと思考を切り替えた。

 

 

皆が帰り支度を始めて、

今日は大丈夫かなと蓉子の様子を見る。

できたらさっきの表情の訳も知りたい。

やっぱりひっかかるから。

蓉子、と口に出そうとしたその時だった。

「お姉さま、お話があります」

祥子だ。

私は何だか気後れしてしまって、ただふたりを見ている。

「なにかしら?」

「今日私の家にいらっしゃいませんか?」

「え?」

守っている者は滅多にいないが、

リリアン生は寄り道には許可がいる。

そんなもの申請しているはずのない今日の蓉子を

品行方正な祥子が誘うなんて意外だ。

「私、許可とっていないわ」

嫌がっている様子はない。単に祥子への確認だろう。

「えぇ、ですからうちの車で一度お姉さまをお送りし

 ますわ」

随分熱心だ。

これだけ誘われたら、妹思いな蓉子は断れないだろう。

しかし蓉子は踏ん切りがつかないのか、

私の方をちらちらと窺っている。

誰かの後押しがほしいのかもしれない。

だって突然小笠原の家にいくだなんて、

やっぱり緊張するだろう。

「行ってきたらいいじゃない」

先に助け船をだしたのは江利子だった。

「でも…」

まだ蓉子は私をちらちらと見ている。

おかしいなと思う。

蓉子はそんな決断力のない人間ではない。

「そうよ、小笠原のお宅なんて中々行けないよ」

蓉子が迷いを断ち切れるように、私も江利子に賛同した。

江利子はつまらなそうにうなづくと

「お先に」

と部屋を出ていった。

「じゃあ、聖も来ない?ねぇ、だめかしら?、祥子」

祥子は

「かまわない」

と言う。

ほんとにらしくない。

ひとりで行きたくないのかなんなのか。

とにかく蓉子は変だ。

心配ではあるけれど、姉妹水入らずを邪魔する趣味はない。

「気にしなくていいよ、じゃ私帰る。ふたりとも仲良くね」

逆に私がいるとまとまらないのかもしれない。

とっとと退散してしまおう。

後ろ手でドアを閉めて、足早に家路を急ぐ。

蓉子が変なことも、

自分のきもちがうまく伝わらないことも、

全てを切り捨てるように真っすぐに歩いていく。

振り向いたらだめだと自分に言い聞かせた。

無理に、前だけ見て。

 

「聖!」

 

私の努力の全てはたった二文字で無効化した。

他ならぬ彼女の声で。

逆らうことも、とどまることもできずに

私は彼女を視界にいれた。

「せ、聖…待って…」

呼吸を乱して、

私を懸命に呼ぶ姿に引き寄せられるように歩み寄る。

「どうしたの?蓉子」

何が何だかわからない。

何故そんなに急いで、私を呼び止めに来たのか。

息を整えて、私を見上げる蓉子。

「どうして帰っちゃうの?」

「だって祥子の家に…」

だから私は…ひとりで…

 

「私行くなんて言ってない」

 

訴えるようにきつい口調だった。

「行きたくなかったの?ごめん、気付かなくて」

何か用事があったのだろうか。

ほんとに私は蓉子の気持ちを汲むのが下手だ。

しかし蓉子は首を横に振った。

「違うわ」

わからない。

私は蓉子のこの感情の高ぶりを理解してやれなかった。

沈黙するしかない。

「わからないの?」

まるですがるような視線を私に向ける。

その聡明な印象を持つ黒い瞳に涙が揺れる。

私は驚きを禁じえなかった。

私の何が彼女をそんなに追い詰めたのだろうか。

 

「私は聖と帰りたかった!聖と一緒にいたかった…」

 

悲痛な響きをもった声が放たれた時、

蓉子の瞳からついに涙が零れ落ちた。

「どうして無駄だなんて言うの…

 私のこと待ってくれてたんじゃないの?」

それは…

私がいても、蓉子の負担になるだけだと思ったから。

「謝っても、何にもなかったみたいな返事で…

 私のことなんかどうでもいいってこと?」

違う、

蓉子が気にしなくていいようにと思ったから。

「違う、違うよ…蓉子…」

私は背を丸めて、

小さくなってしまった蓉子を抱き締める。

言うことはたくさんあるはずなのに、何も言えない。

だって結局全ては私の失敗だからだ。

 

蓉子のことを考えているようで、

私のことばかり考えて、

私たちは違う人間なんだと、

違う思考をするのだということを忘れていた。

こんなに簡単なことに

どうして思い至らなかったんだろう。

 

「ごめん、蓉子…」

 

抱き締めているつもりが、突き放していたんだ。

優しくしているつもりで、傷つけていたんだ。

 

「ごめん…気付かなくてごめんね…」

たとえ苦しめても、

私はそれでもあなたを求めずにはいられない。

 

「私も蓉子といたいよ…」

「ほんと?」

「うん」

蓉子は私を抱き締め返す。

 

 

互いの腕の中。

それはひとりよがりな孤独を撃ち抜く光の在処。

だから、ひとつになんてなれなくていい。

 

 

 

 

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