sugerless milk chocolate

 

 

 

 

あなたにあえたら、とてもしあわせ。

 

 

 

江利子は電車に乗っていた。

家をでてくるのは正直一苦労。

間断なく鳴り響く家の電話は仕事の合間に私の声を聞こうとす

る兄たちから、

それをわざと自分でとって優位さを誇示しようとする父。

私は父の姿を横目に、部屋で雑誌を読んでいた。

テーブルの上には紅茶と、ハート型のチョコレート。

バレンタインの欠片があちこちに散見している。

窓を見ると、白く曇っていて、

生来好奇心が強いはずの私も家の中で丸くなっていた。

帰宅後、着替えもせずに鞄を投げ出してこうしてソファにいる。

鞄の中には令からもらったチョコレートがおさまっている。

初めてではない、女の子からチョコレートを貰うなんて。

去年は同級生をはじめ、

名前を知らない上級生にまでチョコレートを渡された。

中等部は比較的規律が厳しくて、

チョコレートをそうまでたくさん受け取る羽目には遭っていなかったから、

去年は目の前に積みあがっていく色とりどりの箱に

茫然としたことを思い出した。

今年は断れるものは断り、

不可避(名前無し、下駄箱放置)のチョコレートだけを持ち帰った。

それでも去年にも増した量が手元に残った。

黄薔薇のつぼみの名の威力は自覚していたつもりだったけれど、

選挙戦後だからだろうか?

これほどとは思わなかった。

来年はリリアンに残る選択をしていなければ、受験中のはず。

こうして怒濤のごとくチョコレートをもらうのもこれが最後かもしれない。

気が早い。

まだ新しい年を迎えて一ヵ月と少しなのに、

来年のことを考えるなんて鬼が笑う。

いや、蓉子は怒る。

「あなたや聖とやっていかなきゃいけないなんて、

 これから1年心配してるっていうのに!引退後の心配?!」

うん、かなりリアルな想像だ。笑える。

そして、その頃には令との別れの季節がやってくる。

蓉子と祥子のところ程、令は私に依存していない。

たぶん他のどの姉妹と比較しても、私たちふたりはクールな関係だと思う。

令は見た目と違って私よりずっと乙女チックな嗜好の持ち主で、

姉妹らしい行為に対する憧れは強かったことは事実だ。

けれどあの子はそれを私に押しつけようとしたりはしなかったし、

そんなあの子だから逆に、私は願いを叶えてあげたいと思った。

姉妹らしい思い出はそれなりにあれど、

それは強い、

精神的な何かを伴っていたわけではないところが私と令の特殊性だろう。

不満はない、大切な妹だ。

ただ彼女が私に依存しないのは、

彼女が大人だからではないということに気付いたのはいつのことだったか。

思うにそれは初めて「島津由乃」の存在を知った時だったと思う。

ふとした時に触れる、

令の強さ、優しさ、

そのすべてがその存在に起因していることがわかる。

背後にある、目には見えない誰かの存在は、揺れるろうそくの燈。

揺らめいているのに、強いその存在感。

それでもいいと思った。面倒がなくて、それでいいと思っていたのだ。

なのに、いつからだろう?

『干渉したい』とそう願うようになったのは。

ありとあらゆる、角度から見ても令を支配するその関係に

関わりたいとそう思うようになったのは。

もうすぐやってくるその存在が恐くもあり、興味深くもあった。

 

きっと支倉令と島津由乃の世界はただふたりだけで構成されていて、

その他に何もいらない。

求めていない。

その世界にとって私は破壊者なのか。

たぶんそうだろう。

きっとふたりの世界は閉ざされていて、

その固い殻の前に人は怯み、立ち去っていく。

でも私はそれができない。

そうするには令の距離は近すぎて、私の好奇心は強すぎた。

もう引き返すことはできないのだと分かっている。

 

私は立ち上がった。

投げ出した鞄を掴む。

ばらばらと目にも鮮やかな箱を放り出した。

私がほしかったのは、ひとつだけ。それだけがあればいい。

制服のまま家を出る。

 

会いたい、今、会いたい。

 

再び鳴りだした電話のベルは私を止めることはできなかった。

住所と令から聞いていた話を頼りに私はあいたい人に会いにいく。

和風の家屋が見えてくる。表札には「支倉」の文字。

本当にここまで来てしまった。家を出て、初めてためらいを覚える。

 

 

「お姉さま……?」

「令……」

 

会いたいと思っていたから?幸運に私は感謝した。

「どうされたんですか?」

「あ、会いに来たのよ」

突然の来訪に戸惑いつつ、柔らかな表情で距離を縮めてくる。

「学校で会ったばかりじゃありませんか」

可笑しそうに笑う令に、私はほっとする。

冷えきった身体にほのかな暖かさが宿った気がする。

 

「冷たい、ですね」

 

令は私の頬に触れた。

 

「さっきまではね」

 

こんな返答、意味がわかるわけがない。

 

「こんなに冷たいじゃありませんか」

 

私は笑った。

 

「秘密」

「何ですか、それは」

 

呆れたように令も表情を崩した。

 

 

「上がって行かれますか?」

「いえ、遠慮しておくわ」

 

そこへ踏み込む気はまだしない。たぶん、ずっと。

 

「チョコレート、ありがとう」

令は目を丸くした。

「それを言いに来たんですか?」

何をしに来たか、なんて…

「あなたの顔を見に来たのよ」

いつか誰かさんが言いそうな台詞。

「おかしなお姉さま」

笑う令の顔を見ているのはやっぱり幸せな気持ちになる。

 

 

「チョコレート、ここで食べてもいい?」

「ここで、ですか?」

「えぇ」

「かまいませんけど……」

 

 

私は鞄を開けると、令の作ってくれたチョコレートを取り出す。

 

「いただきます」

「どうぞ」

 

口に入れると、チョコレート独特の甘いのに、ほろ苦い味が広がる。

バランスが絶妙で感激した。

市販のチョコレートなんて目じゃないくらい美味しい。

いや、私好みだ。

 

「美味しい。こんなに美味しいチョコレート初めてだわ」

「そんな大げさですね」

 

私が珍しく感情を露わにしたしたせいか、令はどこか恥ずかしそうだ。

 

「美味しい、ほんとよ」

「そんなに言ってくださるなら、来年もこれにします」

「ほんとう?ありがとう」

 

こんなに嬉しいことがあるんなら、まだ山百合会も捨てたものではない。

もう1年楽しく過ごせそうな気がする。

 

辺りはもうだいぶ暗くなって来ていて、そろそろ帰らなくてはと思うのに

もう少し、もう少し、

そばに、いたい。

 

 

そばに……

 

 

手を伸ばした。その先には令の手があったはず……

 

 

 

 

「令ちゃん!」

 

 

 

高い少女の愛らしい声が響いた。

誰なのか、聞かなくてもわかる。

 

『島津由乃』だ。

 

 

 

「もうご飯だよ!」

 

 

 

そう、ここは彼女のホーム。

顔は見えないけれど、小柄な私服姿の少女が見える。

門の外と中。

制服と私服。

公と私。

 

 

「帰るわ」

「え?」

「もう暗いし、令も呼ばれているみたいだし」

 

私はいつもの私だ。

明日からも、ずっと。

 

「じゃあ、さよなら」

 

 

私は令に背を向けた。振り返ったりしない。

 

 

「ごきげんよう。また明日、お姉さま」

 

 

また明日、お姉さま。

そう呼んで貰える日は、あと何日?

私がいなくなったあとに続く令の日々は誰のもの?

 

 

バレンタインが連れて来たのは、

甘い今と、苦い未来。

 

 

 

 

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